短歌+エッセイ「はたち・手袋」
私がはたちだったころ、今日1月15日が成人の日だった。写真の中で浅葱に紅型の振り袖を着た私は、立ち姿も笑顔もいかにもぎこちないけれど、やはり初々しいものだったなあ、とわれながらしみじみと眺めてしまう。
そしてお正月といえば、何といってもかるた取り。小倉百人一首も好きだけれど、目下のマイブームはだんぜん「啄木かるた」。
石川啄木の作品五十首を中原淳一が絵がるたにした「啄木かるた」は雑誌「少女の友」が1939年新年号の付録としたもので、その人気は爆発的だったそうだ。私が持っているのはもちろん復刻版で、2001年に国書刊行会から発売されたもの。ある夏に軽井沢を訪ねた折、聖パウロ教会の近くの小さなかるた専門店でもとめた。
淳一の描く、夢見るように大きな瞳の少女たちと、厳しい精神の孤独と生活苦の中で生み出された啄木の短歌とは、ちょっと考えるとかけ離れているよう。けれどかるたを眺めていると、不思議な調和が感じられる。それはそこに、すべての人間に共通する「もの思う心」が息づいているからだと思う。夢見るお嬢さんだって、孤独なのである。
……なんて。本当は美しいかるたを手にとって並べているのが、ただ単純に楽しい私だった。少女たちの五十通りの服装と髪型のセンスは、今日でも十分お洒落の参考になる。
お気に入りの一枚は、
の絵。思い切って耳と眉を出したヘアスタイルに、大きめのマフラーをふわりと巻いて、白地に赤い手袋をしているのは、少女と呼ぶには少し大人びた女性。「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンみたい。
も好きな一枚。
……もしかして私、「手袋好き」なのかもしれない。
※秋田魁新報2005年1月15日付『短歌の栞』
(加筆修正あり)
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