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自分が生み出したもの

毎月、心身を調えていただくために、ヒーラーさんのセッションを受けています。
身体が調うと、思考も心も整理されてきます。

かれこれ四年以上になるお付き合いですけれど、ようやく彼女の言っていることが見えてくるようになりました。
最初は、何を言っているのかわからなかったのです。
この世界のこと、宇宙のこと、意識や魂のこと。
なんとなくわかったような気になったり、ちっともわかっていないと後戻りしたりをジグザク繰り返しながら、少しずつ山を登っているような感覚です。

見える世界と見えない世界をつなぐものが「空間」であると、断捨離では教えられています。
目の前の空間を整えることで、見えない意識の領域が調うと言われています。
そして、身体も空間としてとらえたなら、身体に入っていると思われる意識も調うはずです。

読んで習って知識として知っていたことを、実際に自分の身体や空間を通して、自分の体験として感じることは、納得の次元が異なります。
ヘレンケラーが、手に水を浴びながら "water!!" を体感したことに近い感覚でしょうか。

身体を持ってこの世界に生きているのなら、体感はとても貴重な経験です。
さらには、有難いことに五感も不自由なく使えるこの身です。存分に味わいたいです。

自分の意志で肉体を動かせるさいわいを感謝すると共に、自分の意志とは関係なく働くこの身体の機能には、感謝しかありません。
私ができるのは、入り口の食べ物を選び、咀嚼し、嚥下するところまでです。そして、出てきたモノを水に流すこと、紙で出口を拭くことだけです。
途中の身体の中で行われていることについては、大いなる何かによって創られた命のメカニズムにお任せするだけです。

ですから、自分に出来ること、食材を選び、調理法を選び、おいしくいただくことをできる限り厳選したいと思ってはいますけれど、それよりも何よりも、思考だけで食べないことが大切だという話が、先日のセッションでも出ました。

私のために、目の前に用意されてくれた食べ物に感謝をすること。医師の指導を受けている方は別として、これを食べたら太るとか、血糖値がどうとか、尿酸値がどうとか、そんなことを憂慮するのではなくて、おいしく感謝していただくことが、どんな健康法よりも、自分の身体にストレスをかけずに食べ物をいただくことになります。

ある方が言っていたのですが、魚が1匹目の前に来るまでに、およそ30万人の人が関わっているそうです。
漁師さんはもちろん、造船会社、網の製造会社、燃料の会社、その採取をする会社、卸売業者、トラックの運転手、トラックの製造会社、部品の会社、道路を整備する人、梱包する人、梱包資材の会社、小売店に働く人、エコバッグの会社・・・数え上げたらキリがないほどの人々の働きのおかげで、目の前に魚がいます。
無償で魚を供給してくれた地球への感謝も、忘れてはいけないし、私に食べられる魚の命にも、感謝をしなくてはならないという気持ちになります。

給食費を払っているのに、なぜ「いただきます」と言わせるのか、という親からのクレームがあったと何かで読んだことがあります。
そんな考え方で生きていたら、この世界はしんどいだろうなぁと思います。

自分が食べたものが、自分の出したものとして、水に流されていきます。
体調によって、色も形も匂いも状態も違います。
どんな気持ちで食べたのか、今の自分はどんな精神状態なのか、さらに体調は良好なのか。
その相似象として、自分の見えている世界が出現するという話を聞いて、とても納得ができました。

自分が見ている世界は、自分がどんな気持ちで生きているかの産物ということです。
愛に満ちた世界なのか、ギスギスしてザワザワした世界なのか。
自分はどちらの世界で生きたいのか。

すべては自分が選択しているということが、さらに納得できたセッションでした。

今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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