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反応しない練習

心をざわつかせない為には、自分の感情を客観視することと、行動を感情と切り離すことが肝要らしいです。
わかっちゃいるけどね、なかなかね。って、これも反応ですね。

それから起きたことや他人の行動をジャッジしないというのも、頭ではわかっているけれど、は?なんで?頭おかしいんじゃないの?と、つい批判してしまう自分がいます。
年齢を重ねると人間が出来てくるかと思っていたけれど、それがなかなかそうでもない。
この人生での課題をクリアできるのか、キワキワの所に居る感覚です。

反応をしないためには、起きている事実を、ただ事実として認識することに徹するといいらしいです。

お湯が沸いているな。
電話が鳴っているな。
お腹が空いているな。

それらの合図として音が鳴るわけで、それに対して焦る必要もないわけなのに、どうして焦るんでしょうね。
均衡と静寂が破られることが、心地悪いのでしょうね。

目の前の人が不機嫌だとしても、その不機嫌を自分が引き受けたり、影響を受ける必要もないわけです。
ブッダが、誰かに(誰かってw)「私はあなたの不機嫌を受け取らない」と言ったとかいうエピソードがあって、なるほどなぁとは思うのですが、仏ならぬ身としては、なかなかに難儀なことではあります。

目の前の事態と自分の気持ちを分けることで、感情的な反応をしなくなり、それによって、ずいぶんと楽に生きられるようになるのは感覚としてはわかります。反応しない自分になるためには、おけいこが必要だとも思います。

まだ反応してしまう自分を許しながら、少しずつでも反応をしないおけいこを重ねていきたいです。
そして反応してしまったら、それを責めるでも悔やむでもなく、反応しているなと認めて、ふふっと笑う。
まだまだでぐだぐだな自分を許しつつ、やらかしたりしでかしたりを重ねつつ、日々精進でございます。

一方で思うんですよね。感情をコントロールすることで、人生は格段に行きやすくなるんでしょうけれど、喜怒哀楽という感情を人間が持っている意味ってなんだろうって。
感情にどっぷりと浸かることも、人間に許された体験なのではないでしょうか。いつか悟りたい、いつか平常心で生きられる自分になりたいと、そのようにもがき、葛藤し、泣き、喚くから、この世界を味わうことができるのではないでしょうか。
ブッダやキリストばかりの世の中なら、あの世でじゅうぶんに経験できますもんね。

とか開き直りつつ、反応しないおけいこをして参ります。
死ぬまでになんとかクリアしたい課題です。


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