遺したいもの
絶版の本を手に入れました。
古い本の匂いとともに、我が家に届きました。
その匂いは、実家に置きっぱなしにしていた自分の本の匂いと同じ種類のもので、たちまちにして様々なことが想起されました。
「昭和52年6月20日求」と、奥付に書かれており、初版は昭和51年5月20日、その本は第4刷で、昭和52年3月20日のものです。
昭和52年6月20日にこの本を求めた方は、どんな方だったのだろう。
どのような目的でこの本を読んだのだろう。
古い書籍の匂いと共に、イマジネーションが膨らみます。
たくさんの本を手放してきました。
実家の私の部屋は、床が抜けるほど本で埋まっていました。
実家を処分した後は、本は借りるか、買っても人にあげるか寄付するかで、手元に残した本はあまりありません。
その後Kindleに移行して、紙の本と併用していますが、小説は紙の本、実用書とコミックはKindleという棲み分けがなんとなくできています。
本屋がめっきり少なくなりましたが、幸いなことに最寄駅の駅ビルには大規模な書店が入っています。
書店によって、手作りのポップが工夫されて、店員の本愛が伝わってきます。
時差で眠れぬ夜のために、フライトバッグには数冊の本を常備していました。読み始めると止まらなくて、夜を徹して読み耽ったことも幾度となくあります。
本を処分するときは、辛かったです。
また読むことはほとんどないのだけれど、読んだ証拠が欲しかったのかもしれません。たくさん本を読むことで、頭の中にもそれと同じだけの知識が入っているのだと思いたかったのかもしれません。
CDを千枚近く処分したこともありました。2011年3月11日に、娘の部屋に置いてあったCDタワーが倒れて、CDが散乱していました。
その後、捨てたかというとそうでもなくて、引き出しの中に全部仕舞い込みました。
娘の子守りだったディズニーとジブリのVHSテープも、手放し難かったです。プレーヤーもないのに、テープだけあってもねぇ。ということで、これも泣く泣く処分しました。
本、CD、ビデオテープなど、メディア系を断捨離するのが苦手だったようです。これは、自分の知識欲に直結しているのでしょうね。
私の日干は庚です。
知識を習得することが、この世に生まれてきた目的の星です。
知りたいと思ったら、とことん知りたいので、ある時期憑かれたようにそのテーマを追求します。
そして、ある時憑き物が落ちたかのように、さーっと波が引いていきます。
熱しやすく醒めやすい。庚は鉄鉱石なので、冷めると動かなくなります。
熱いうちがボーナスチャンスなんです。
そんな自分の特性がわかった時、これまでの自分の性質を、それでよかったのだと受け入れることができました。
この世に生まれて、興味があることは、宇宙の理と自分自身のことです。
おそらく、ほとんどの人がそうなのではないかと思います。
手に入れた絶版の本で、宇宙の理のひとかけらでも理解できたら嬉しいです。
この本を、燃やさないでくれて、溶かさないでくれて、ありがとうございます。