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「映像」人類学 と「メディア」人類学

所属している修士過程 を「映像」人類学と言い切ってしまったが、正確にいうと「映像およびメディア人類学」であり

他学部との比較でみると「メディア人類学」の比重が極めて高いことに、入学してから気づいた(遅!)。そもそも、この2つを並列して提供する修士がほぼ見当たらないことを考えると、映像とメディア領域における人類学をまとめてカバーする点(≒ 各分野の学習深度は浅くなりがち)は、このコースの最大の特徴かもしれない。

では、映像人類学(英:Visual Anthropology)とメディア人類学(英:Media Anthropology)はそもそも何をする学問なのか?現在学んでいる講座を事例にしながら、考察してみたい。

映像人類学とは

立命館大学映像学部のサイトには、こう書いてある。

映像人類学は、人々と映像によって関係を構築し、映像を用いて民族・社会・文化を観察しながら、その場に関わる人たちと映像を共有することで互いの経験と知識を循環する営みといえます。(中略)具体的には、人類学的社会調査に基づき、文化現象を映像で記録し表現するヴィジュアル・エスノグラフィー制作の研究実践、いわゆる「ドキュメンタリー」や「記録映像」を制作していきます

更に実作業的な観点からの説明を追加すると、映像人類学=「映像や写真を使って現地調査のプロセスを記録し、これらの素材を研究成果として活用すること」だと思う。論文という媒体を使って研究成果を発表する一般的な文化人類学との最大の違いがこの点にあり、映像人類学=「アートと人類学の中間」と表現される所以でもある。

映像や写真を使った視覚媒体を制作するため、制作プロセスや技法、そこに人類学的主題や理論をどう反映させるのかといった視点が主題となる。例えば、こんな映像をみて次のような問いに回答する。

What was Flaherty’s method? (フラハティが用いた手法とは?)
❶カメラのフレーミング・構図・動き ❷各ショットの長さ ❸白黒の効果 ❹サウンドの使い方 ❺ミザンセーヌ ❻ 現地の人々の描写の仕方
→ それぞれの要素で分析せよ。

特に❻は重要な視点だ。この映像が撮影された1920年代は、人類学=「未開文化を理解するための科学」としての色彩が強く、欧米植民地主義との関連を考慮する必要があるためだ。

映像に反映された撮影者の「未開」への視線を鏡とし、自分はどう「他者」の文化に向き合うのか?そもそも、なぜじぶんに他者の文化を描写する権利があるのか?差別的視点や描写とは?何が「真実」なのか?どこまで対象に踏み込んでいいのか?... そんなことに思考を巡らせる。

映像人類学者と撮影対象者との関係性、対象に対する研究者の考えや視点は、視覚化することで(論文以上に)露骨に現れる。だから、他者の文化をどんな風に観察して、観察した内容をどんな語り口で視覚化するかが主題となるのだ。

メディア人類学とは(1/2):概要

一方、メディア人類学とは「メディアを媒介として発信される情報・文化が、どのように人々の生活スタイルや知識創造のプロセスに影響するかを研究する学問」で、70年代初頭に人類学のサブ領域として立ち上がった。

人類学におけるメディアとは、コミュニケーションをとるための媒体や行為そのもの、それらを実現する技術を指し、印刷媒体(雑誌・ZINEなど)、写真、映画、ビデオ、TV、ラジオ、インターネットなどをフィールドワークの「場所」に定める。(参照:"From Media Anthropology to the Anthropology of Mediation" by Dominic Boyer)

2010年代頃から、SNSの普及と共に急速に注目が高まっている学問領域で、セカンド・ライフ、VR/AR/MRロボット、AI、アルゴリズムといったメディアを対象とした研究も盛んだ。

メディア人類学は、これらのメディアを観察場所に定め、人々がどんな風にメディアを使って他者とコミュニーケーションをしたり、知識を吸収・発信するのか、これらの技術が人々の価値観にどんな影響を及ぼすのか といった点を研究主題としている。

メディア人類学(2/2): 講座の事例

では具体的に、どうやってこの広大な研究領域を学ぶのか?私が所属する修士過程で扱う講座を事例にしながらもう少し深掘りしてみたい。

最初のセメスターで学んだメディア人類学は、「Digital Anthropology」と「Immersive Media」で、前者はインターネットを後者はVR/AR/MRを対象にしていた。

例えば、Digital Anthropologyでは、以下のような話題が射程となる。

Share Economies, Share Communities: オンライン上のシェアエコノミーやシェアコミュニティーは、私たちの経済や所有の概念をどのように作り変えているのか?マルセル・モースの「贈与論」にみられる交換経済との類似点や相違点は?(e.g. ブロックチェーン、ビットコイン、スマートゲームエコノミー、オンラインギャンブル、ロード・シェアサービス )

その他、オンライン・デート、マッチングアプリ、AIチャットボットは、恋愛の仕方をどういう風に変えるのか なんていうトピックも、デジタルメディアを媒介とする人類学の領域となる。

4月から始まった第二セメスターでは、「Media Activism」と「Virtual environment」の講座が始まった。

前者は、世界各地で散見される様々なアクティビズムは、メディアを使ってどのように自分たちの政治的主張を拡散するのか?ということを主題とし

後者は、セカンド・ライフなどのバーチャル世界において、環境がどんな風に描写されているかを鏡として、人間と環境の関係性を分析することを主題にしている。

このように、特定のメディアにおける特定の行為を対象にして(例:Spotify x 音楽鑑賞)それらが私たちの従来の行動様式にどんな影響を及ぼしているのか(例: ストリームという音楽の聞き方が、音楽の消費行動をどう変えたのか?)を研究するのがメディア人類学である。

メディアと映像の交差地点

以上みてきた通り、映像人類学・メディア人類学にはそれぞれの研究主題があり、分類もされている。が。映像だってメディアだし、メディアにおける映像の存在感は年々高まっている。

アマゾンのシャーマンですら、スマホ経由でFacebookを発信する時代である。インターネットを含む映像メディアやテクノロジーを切り離して考えることはできない。

という訳で、この2つを並行して学ぶということは
メディアやテクノロジーは人々の生活や文化にどんな影響を与えるのか?」「それらの変化はメディアを通して、どのように観察されるのか?その変化をどのように記録するのか?」という大テーマに対して、答えるということだ。(と理解した)

これらを踏まえながら、私の所属するベルリンの修士課程がどんな人に向くかという話をすると、
民族誌映画の制作を極めたい人には物足りないと思うが(座学をさらっとやるだけで実技は自学!)、

(私のように)アマゾンの熱帯雨林の多層構造をVRで可視化したい!とか 
なぜ人はAIに人格を感じるのか?とか 感染呪術を実装できる技術とかあるのか?とか 土壌微生物とシャーマン的世界は連関してたりしないのか? とか シャーマニズム、みたいなある特定の文化行為を、テクノロジーを媒介にしながら視覚化・考察したい人には ど真ん中のコースといえるだろう。 

さて、コースのよりつっこんだ内容の話に触れたところで、次回以降、個別のコースの学びを記録したいと思います。

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