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生き方も死に方も優しさであふれている【横道世之介】

「高良健吾来てるらしい!」と校舎の外に人だかりができているのに見向きもせず学食に向かった記憶がある。大学生の頃の自分、芸能界に疎すぎた・・・。


横道世之介


小説の中では明記されてはいないが、立地などから母校と推察できる。

映画も母校で撮影され、学祭には高良健吾、綾野剛など映画版のキャストが来てトークイベントをやっていた(らしい)。あの年季の入った古い校舎はもう解体され、近代的な校舎に生まれ変わった(らしい)。古くて汚くて薄暗かったけど、結構好きだったんだよなぁ、55年館58年館。

そんなこんなで、いつか読もうと思っていた横道世之介をやっと今年の夏ゆっくり読むことが出来た。



横道世之介。”平凡”な学生が、”普通”の日常を送る。地方から上京してきたなんてことない”ただの”大学生。お人好しで空気が読めなくて女の子に弱い。人への偏見がなく、性善説を信じ切ったような人。そんな世之介が友人や彼女と送る日常が、どれだけ温かく貴重な時間だったかと、読了後にじんわりと感じさせられる。


心優しい世之介は、生き方も死に方も優しさであふれている


ストーリーのネタバレになってしまうが、世之介は、大学卒業後、人助けをして亡くなってしまう。世之介のいなくなった世の中で、親も、元彼女も、友人も、みんな目の前のことに必死になって生きているけど、みんな世之介を通じてどこかでつながっている。


飛びぬけた才能があったわけでもない。リーダーシップを発揮するようなタイプでもない。そんな世之介をなぜみんなが思い出すのだろう


当たり前にそばにいて、素直に人を信じ、なんとも人間くさく生きていたからではないだろうか。



大学時代は、ただなんとなくそばにいる付き合いが沢山あった。サークル仲間、バイト仲間、イベント企画、ボランティア、旅先の出会い。社会にでると、損得勘定で人付き合いを考えたり、評価されていたり。長い時間をやんわりと共有する人ってあまりいない気がする。

でも、社会に出たからと言って、そんな風に生きなきゃいけない決まりはないよなぁ。かっこつけなくても。


世之介みたいに、他人を信じきれる人って、実は自分のことも信じているのだと思う。安心してそばにいられるな。と自然に感じてもらえる生き方は自分に出来るだろうか?


この世から消えた後に誰かの心のどこかに残って「ああこんな人いた気がするなあ」とうっすら思い出してもらえるような人になれたら、いいな。



この世から消えた母校の校舎も、学生時代の思い出とともにいろんな人の記憶のすみっこに生き続けていくんだろうな。










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