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米津さん

今週は5日間電車に乗ってきちんと元気に出社することができた。これを毎週ずーっとできる人ってすごい、って思う。感心してしまう。

noteの第一回目の投稿記事は「米津さん」にしよう。記念すべき第一回目はこれしかない。数年たって読み返したときもきっと、ああこれを第一回目のトピックにして正解だった、と思うはず。

今日は朝起きたときからずっと頭の中で「POP SONG」が無限ループ。これは先日のたまアリでのライブでの最初の曲。米津さんはグリーンのシルクシャツに黒いパンツで登場。背の高さと足の長さが強調されてかっこいい。これまでのライブの衣装の中では一番シンプルでちょっとめずらしく「芸能人」らしいスタイルだな、と思った。米津さんに会うのは4回目。2019年3月の横アリ以来。2年7か月。。

やっと会えた。やっと生声が聞けた。と思ったファンがたくさんいたはず。彼が登場した時、歓声を上げることができない代わりに喜びとか感動とか感謝とかの言葉にならない感情がふわーっと会場に溢れた感じがした。たまアリのライブについては別の機会に書こうと思う。

米津さんを知ったのは2017年。ボカロとアニメにはまっていた娘が「マトリョーシカのボカロPがヒロアカのOPを歌ってて、声がやばい、曲がいい」、とべた褒めし、そのときに「アイネクライネ」を聴かされたのが最初。「アイネクライネ」も「ピースサイン」も今聴いても全然新鮮だし心地よい。少し酔った米津さんのツイキャスを塾の駐車場で娘を待ちながら聴いた日が懐かしい。冷蔵庫を開ける音とグラスの中で動く氷の音が聞こえる。すごく楽しそうな米津さんがいた。ウイスキーをのんでいたのかな。アコギを弾きながら「アイネクライネ」や「パンダヒーロー」を大きな声で歌ってくれた。耳が最高に気持ちいい。そしてそれはまるで彼氏が電話の向こうで私にだけ歌ってくれているという錯覚に陥ってしまう。それ以来どんなアイネクライネ聴いてもパンダヒーロー聴いても、この時のものに上書きすることはできないくらいの強烈な思い出。

この年は「ピースサイン」のほか「打ち上げ花火」「砂の惑星」もヒットして、米津さんの話題は毎日何かのメディアに取り上げられ始めていた。米民(よねみん)というファン名が広まったのもそのころ。有名になりすぎてしまうとそれまでの活動や発言が制限されてしまうーそれを知っていた米津さんはツイキャスで録音とかしないでね、どんな影響あるかわかんないからね、のようなことを毎回「米民」に優しく言っていた。

それでもやっぱり守らない人はいて、録音されたツイキャスは配信直後にネットに上がったりしていたらしい。なので「米民」たちは必死に「やめてください」と発言するなどしてお願いしていたのが、逆手に取られて民度の悪い「米民」とまで言われるようになってしまった。

結果、ツイキャスはどうしても録音されてしまう、ということから、ある日の米津さんの「残念だけどやめます。また何か他でやれるようになったらそのとき会いましょう」というツイートともに米津さんのツイキャスが突然終了してしまう。「米民」が一番恐れてた日が来てしまった。残念だけど有名になることはそういうことなのよね。でもあの思い出はずっと心に残っていて誰にも邪魔されるわけではないし、それはそれですごく素敵なものじゃないのかなと思う。

そして2018年2018年は私の人生を大きく変える出会いがあった年。米津さんの武道館ライブに参戦できたのも運命のひとつかもしれない。しかもチケットは全滅だったわけだから、参戦できたのはちょっと不思議で特別な運命めいたものを感じてる。

それは武道館ライブの最終日の朝。寒い朝の通勤時間。iPhoneからランダム選曲でかかったのは「orion]。

神さま どうか どうか 声を聴かせて ほんのちょっとでいいから
もう二度と 離れないように あなたと二人 あの星座のように
結んでほしくて

という歌詞。どうにもこうにもその時の気持ちにドンピシャで(笑)ほんとに神さまにお願いしていた。すると昼休みにスマホの画面にGmailからの通知。

「当選されました」の文字が。

それ以来「orion」は願いことがかなう魔法の歌、と決めている。


2018年1月7日 日本武道館にて


それからも米津さんとは何か違う次元か空間を超越したところでつながっているような気がしてならない。些細なことなんだけどそんなことが時々起こり続けてる。

・・・・そんな米津さんのライブに行くことができるのも、生声が聴けるのも、先日のたまアリファイナルが最後、と思うと感慨深い。そして胸がちくっと痛い。米津さんがノースカロライナのシャーロットでライブ、なんていうことを、あの魔法の歌を流しながら思えば叶ったりして。。。。



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