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Episode#1 ニースのジャズフェスティバルでの話 "ラッキートンプソン事件”(1946)

私の敬愛するサックスプレイヤーのボブウィルバーの自伝"MUSIC WAS NOT ENOUGH " by Bob wilber を読んで、印象に残ったエピソードを紹介します。意訳してるので間違ってるかも。

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ボブウィルバーが初めて参加した大きなジャズフェスティバルが、この1948年のフランス、ニースのジャズフェスティバルだそう。

シドニーべシェが契約の関係で出演することができず、代わりにべシェの弟子のボブウィルバー(当時二十歳)が出ることになった。

出演のオファーの電話を受けて、ボブは大興奮。そのフェスの出演者には、ルイアームストロングの新しいオールスターズバンドもいて、アールハインズ、ジャックティーガーデン、シッドキャトレット、バーニービガード、アーヴェルショウなどがいた。

行きの飛行機でのボブの席は、ルイとジャックの後ろ。二人は到着するまでずーっと楽しそうに話をしていて、ジャックは話しながらルイのマウスピースのリフェイスをしていた。

飛行機で一番ピリピリしていたのが、マネージャーのジョーグレイサー。飛行機を降りた先には、たくさんのメディアがカメラと共に、アメリカからのご一行の登場を待ち構えている。

ジョーは、みんなに飛行機から降りる順番について指示を出した。

「ルイ、君が先頭だ。トランペット出してね。ハンカチーフ降ってね。」

「アール、次は君ね。葉巻持って。笑顔でね!いいね、笑顔ね!」

「次はジャック、その次はメッツね。」

そんな感じで整列していったのだが、ジョーは後方に夢中になり、ラッキートンプソンのことを忘れていた。

なんとラッキートンプソンは自分のテナーをすでに背負って、列の一番前を陣取って、ドアが開くのを待ち構えていたのである。

気づいたジョーは大慌てで、「ちょっとトンプソン!戻って!ルイが1番、アールが2番!君はまだだ!」と叫んだ。

しかしラッキーは冷たく言った。

「俺は君のために働いているんじゃないよ。俺はね、ドアが開いたらすぐに荷物を受け取って、すぐにタクシーを捕まえて、すぐにホテルに行って休みたいの。指図するな。」

「馬鹿なこと言うな!アメリカで仕事がなくなってもいいのか!そんなことしてみろ!二度と仕事やらないぞ!」ジョーはさらに叫んだ。

結局ラッキーは言うことを聞かず…。

可哀想なラッキー(Poor Lucky)。そこから、彼のキャリアは名前のようにいいものではなくなってしまった。

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ここから感想。

昨年ボブウィルバーが亡くなったときに、ルイアームストロング記念館がインスタグラムに、追悼のコメントと共に、素敵な写真を2枚上げていたんですよね。(リンク有)

1枚目は晩年のボブと奥さんのパグホートンがルイアームストロング記念館の前で笑っている写真。ボブウィルバーのコート素敵だ。

2枚目は、飛行機の前でルイアームストロングら大御所たちがたくさん写っていて、後ろの方で若きボブウィルバーが手を振っている白黒写真。これを見たときは、へーいつのかな、くらいにしか思っていなかったのですが、その後ほどなくして、ボブの自伝で今回紹介したエピソードを読んで、この写真のことを思い出しました。

もしやと思って写真を見直してみると、ルイアームストロング先頭にいるし、アールハインズもいるし(私が顔まで認識しているのはこの2人とボブくらい。)、飛行機はエールフランスだし、この写真の時のことか…!と胸が熱くなりました。Googleで画像検索したら、ルイがトランペット持って飛行機から降りてくる写真もあったよ。

この写真の裏にこんなエピソードがあったとは、飛行機の中にいた人しかわからない貴重な話。今回は割愛したけれど、マネージャーのジョーさんは、お腹の弱いルイのために、トイレの場所を行く先々で探し歩くと言うお仕事もあったらしいです。

それにしても、こんなに細かく飛行機の中でのことを覚えているとは、ボブウィルバーこのフェスへの思いがとっても強かったんだろうな。(終)

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