はなしにならない話
冒頭からドドーン!と入れ歯の画像で何事?と思われたかもしれないが、亡き父の入れ歯を買い取ってもらった話の顛末を書こうと思う。
入れ歯は買い取ってもらえる(ことがある)
入れ歯買い取りの申し込みをしたとSNSに書いたら「入れ歯って買い取ってもらえるの?」と友人たちに驚かれた。
もちろん断られることもあるが、入れ歯には金やパラジウムなどの貴金属が使われていることが多く、金属が土台の物は買い取ってもらえる可能性が高い。
ただし、入れ歯の場合代金の大半が加工料だし、貴金属の量としては少ないからあまり期待しないで「本人以外使い道のないものを資源として使ってもらえる!」くらいの気持ちで依頼する方が無難だ(以下は入れ歯専門の買取業者サイト)。
ちなみに私は他にも今後着る予定のない和服や以前勢いで購入したピーターラビットのミニチュア陶器セットなども一緒に査定してもらおうと目論んでいたので、すべての商品を買取査定対象にしているバイセルさんに依頼した。
予約した日に査定員が自宅まで訪問し、スマホで写真撮影したり道具を使って丁寧に査定しながら本部とやり取りしていた。
結果は入れ歯+金歯などをまとめて9,000円ほど。入れ歯などの専門業者ならもう少し高いかもしれないが、不要な着物や和装小物なども引き取ってもらえたから手間を考えれば妥当と判断して買い取ってもらった。
意外なことにピーターラビットのミニチュア陶器セットは買い取りを断られたので、他のところへ買い取りを申し込むかフリマサイトなどを利用しようと考えている。
母に入れ歯買い取りの話をしたら「新しい入れ歯ができたら私の古い入れ歯も買い取ってもらおう!」と乗り気だったので、きっとまた利用することになりそうだ。
買い取ってもらえなかった入れ歯は?
1つだけ「こちらはお引取りできません」と買い取りを断られた入れ歯が手元に残り(それが冒頭画像の入れ歯)、こちらについては入れ歯の回収ボックスへ持っていくことにしている。
買い取りの手続きややり取りなどが面倒な場合や、買い取りよりも寄付した方が気持ちの整理がつくという場合は最初からこのような回収ボックスへ持っていってもいいだろう。
入れ歯で思い出したこと
家系なのか、母親(つまり私にとっては祖母)の偏食の影響なのか、はたまた戦争による食糧難の影響なのか不明だが、とにかく父は歯が弱くて私が物心ついていた頃には既に部分入れ歯を使っていた。
子どもの頃は父がカパッと入れ歯を外してゴシゴシ洗っている様子を見て「大人になると歯が外れてあんなふうに掃除ができるのか!」と思ったものだが(当然後で両親に訂正されたが)、歯磨きが面倒くさい年頃だっただけに父の入れ歯の思い出となるとその光景が脳裏に浮かぶ。
入れ歯への執着
それもあってか父の歯へのこだわりは並々ならぬものがあり、「保険診療の入れ歯は駄目だ!」と歯の治療と入れ歯作成に多額の費用をつぎ込んでいた。
幸い母が独身時代歯科技工士の資格も持つ歯科医師のところで歯科助手をしていたことがあり、そこでまあまあ満足の行く入れ歯を作ってもらっていたようだ。
ところがその先生が高齢を理由に引退したら今までのようには行かなくなった。理想の入れ歯を求めて様々な歯医者を訪れては入れ歯を作り、しばらく使っては「ここがダメだ」「もっといい入れ歯が欲しい」と彷徨っていた。
今思えば自分の都合で子どもたちの健康に気を配らなかった自分の母への恨みつらみやら、感覚過敏による口腔内の違和感やら、自分の体の衰えへの苛立ちやらが混じり合った負の気持ちを理想の入れ歯を得ることで解決したかったのだろう。
なぜあんなに入れ歯に執着していたのか?と生きていた頃は疑問だったのだが、改めて入れ歯を出して眺めたら父はもっと幸せになりたい、人生を謳歌したかった証なのかも、と感じた(しかし、それならもっと他のことに遣ってよ…と思うのだが)。
子どもたちには自分のようになってほしくなかったようで、「せっかくいい歯で生まれたんだから大事にしろ!」と何度も言われた。
幸運なことに娘の私は父が入れ歯を使っていた年齢を過ぎても入れ歯を使わずに暮らせている。ある意味父の歯にまつわる話は反面教師な内容ばかりで、文字通りはなしにならない話なのだ(お後がよろしいようで)。
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