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母、個人に戻る

母N子さんの変化

母は父と約51年一緒にいた。その間は妻であり、姉と私が生まれてからは母となり、そして姉に子どもが生まれてからは祖母として実家を切り盛りしてきた。

父の死後、葬儀や相続手続きを母と共にしていると「あれ?こんな人だったっけ!?」と今まで知らなかった母の一面に触れることがあった。

正直戸惑いも感じたが、思えば私は個人としての母と接するのはこれが初めて(当たり前だ)で、母はずっと本来の自分を隠すように「妻、母、祖母」という立場を演じてきたのかもしれない。

実家を離れてサ高住へ入居してからはますます個人としての部分がパワーアップし、「私が母だと認識していたNさんは本来どんな人なのだろう?」と半分興味本位で観察している。

名前=個人としての認識とは限らない

私は20年近く母を「N子さん」と名前で呼ぶのが習慣だった。「自分の母親」と認識するのは第三者から母のことを尋ねられた時、もしくは原稿の中で母のことに触れる時くらいだった。

母を名前で呼び始めたきっかけは、母の姉(つまり私にとっては伯母)と母が「Nちゃん」「○ちゃん」と互いを名前で呼び合っていたのを見て姉と私もふざけ半分に真似たことなのだが、母の反応がまんざらでもない様子だったからか、次第に母を名前で呼ぶ頻度が増えていた。

姉に子どもが生まれた頃から母となった姉と区別するため、父と姉は母のことを「ばあば」「おばあちゃん」と呼ぶようになり、夫と私は母の名前である「N子さん」と呼ぶことが定番になっていた。

そのため、自分の中では母を個人として認識していると思いこんでいたが、父がいなくなると母は今まで着ぐるみのように身に付けていた「立場」を脱ぎ始め、自分自身の気持ちを表現するようになってきた。

よく考えれば若い頃は福島で教師として働いていたのに、精神分析を学ぶために職を辞して上京するという大胆なことをする人だった。

むしろそんな側面を抑えて過ごした51年間という月日はとてつもなく長く、ようやく母は失われた時を取り戻そうとしているのかもしれない。

ちなみに昨日はN子さんから「本当は高校卒業後園芸を学びたかったの」と衝撃告白された。「何それ、初耳なんだけど?」と驚いたら、してやったり、とニヤリとされた。

「振り出しに戻りました!」とにこやかに言う母N子さんに当面振り回されそうだが、そんな彼女が楽しく暮らせるよう、一刻も早く新型コロナが終息してくれることを願ってやまない今日この頃である。


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