いつもどこかで湧き上がる、ジャッジする気持ち
自分と向き合ってきて数年。
ここ最近は、より一層「目に見えない世界」への興味関心が増しています。
多分それは、松村潔さんの発信に触れたことが大きくて。
そこに詰まっているものを探求したい気持ちが湧き上がってきていて
そこに触れたい、近づきたいと、ワクワクしているこの頃です。
そんな中、受け取る情報も少し変わってきたのですが
いろんな方の様々な発信を見ていると、
自分を整え、「宇宙意識」、「全惑星意識」、そしてその先を目指していく方法として
瞑想や、夢探索をはじめとする様々なワーク、
いわゆる、より高次なところ、非物質的な世界、5次元と繋がっていくことを推奨されている方が圧倒的に多いなと感じたのです。
ただ、その発信されている文章や音声などからは
何か「重たいもの」を感じ取ることも多く。
そういった様子からも、
まずは、3次元を生きて肉体を持つ自分自身を整える必要があるんじゃないのだろうか、
そこがベースとして整っていないと
そもそも、高次なところと繋がるスペース、通路も開かれないんじゃないかと思ったのです。
でも、少し立ち止まって考えると
5次元的な方向からのアプローチだけをするとしても、
結果的に、3次元の自分を整えることになるのかな、
目に見えない世界が変わって、
その後、この3次元の世界も動いていく、という意味では
その人の在り方、姿勢次第なのかな・・・とも。
このことを、良美さんにシェアさせてもらったところ
5次元領域に触れたのをきっかけとして、
3次元の現実世界でも、重たいものを抱えたままではいられない、
手放さざるを得なくなってくる、ということ
そういったワークをするだけで、変われる、何者かになれる、
ということは全くなくて、
やはり、そこからがスタート、だということ
などをお話ししていただきました。
ただ、どうして私が、そこに反応したのか?
文面通りの、アプローチに対する疑問だけなのか?
そこに、優れている、劣っている、というジャッジがないかな、と
良美さんに声をかけてもらったとき、
まだちょっとあるな・・・と感じたのです。
「そんな甘くないよ、簡単に上がれないよ」みたいな感情が。
そういえば、こういった類の感情は、過去、何度も何度もお掃除してきたものでした。
「楽しいスピリチュアル」みたいな言葉を並べて発信している人に対して
「全然わかってない」とモヤモヤし、
それが沢山反応をもらっていたり、フォロワーが多い人であったりすると
なおさら、「私の方がこんなにも必死で向き合ってるのに、スピリチュアルってこんなもんじゃないのに」とイライラして。
この私の感情の背景には、
人が集まっていて、反応をもらえていることへの羨ましさもあったし、
自分はこんなにも苦しい思いをして頑張っているのに、
その「頑張り」が報われない、評価されない悔しさとか、
そもそも、「大変なことを頑張っている私」という被害者意識も強くあったのだろうと思います。
何度も自分に向き合って、整えてきて
ただ、ありのままの自分を表現していこうと、こうした発信も始めて、
この、イライラ、無性に腹が立つ、みたいな反応は、そういえばなくなってきたなあと気がついたのですが
どちらが優れている、劣っている、良い、悪い、
といったジャッジは、まだあるなと思ったのです。
それが、自分にとって、注力している事柄であればあるほど。
振り返ると、私は、ずっと「良い」「悪い」の物差しで物事を判断し
自分自身に「〇〇すべき」を課してきていました。
何かに反応していることに気づくたびに、
ジャッジしている自分がいるということ
そして、その奥にある、ずっと抱えてきた固定観念に気がつき、
少しずつ、少しずつ、外してきたのですが
熱量をもって向き合っていることに関しては特に、
まだ、優劣でジャッジして、
自分を正当化したいという気持ち、
強く言えば、他を排除したいような気持ちがある、ということ。
ぎゅっと抱え込んでいたい自分がいるんだなあと、気がついたのです。
ジャッジして、他を否定する必要なんてない。
自分の好きな世界は大切にしつつ、
ただ、それぞれの考え、立場は、それはそれとして認め受け入れる。
良い悪いとかではなく、全部、それでいい。
頭ではわかっているし、感覚的にも少し緩んできているけれど
まだ、どこか抵抗している自分がいるのです。
ここを手放すのって、ピンポイントでこれ、っていうよりは
全体的な底上げ、というか、多角的に、自分を観る必要があるのかも、
なんて、感覚的に感じているところで。
そういう意味でも、やっぱり、地道に内観と手放しを続けていくしかないな、と思うのでした。
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