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余計なことを考えるときはだいたいヒマなとき

昨日のパートの話もそうだけど、なんで突然パートしようと思ったのかという理由を考えていたんだけど、考えてる時点でもう本気ではない気はしてる。いろんな理由を考えて、なんとなくパートしたほうがいい気がしただけ。

定期的な収入があったほうがいいんじゃないかとか、これ以上社会と関わらない(関わってないわけじゃないけど)ような生活が続くと、どんどん世間とずれてくんじゃないかとか、40も過ぎたし、いま1回パートやっといて履歴書を埋めたほうがいいんじゃないかとか、そんなことを考えたりする。

で、しょうもないことを考えているときっていうのは、だいたい暇なときだと思う。

暇というと贅沢な感じがするけども、やることが多過ぎて逆に思考がまとまってないときも、結局体が動かずに何もできなくなって、暇になってしまう(何もできないという理由から。)なにもできなくなるから思考がさらに暴走して、余計なことを考え始めてしまう。

日中、不登校の子どもたちがいる。もう大きいし、乳幼児の頃より手は掛からない。だから在宅で仕事なんかいくらでもできるよねって思うかもしれないけれど、在宅ワークが多くなっている夫にすべて任せて出かけられるかというと、夫は困るだろうなと思うくらいには、ちょいちょい手を止めなければならない。

「お母さん、これ見て!」「お母さん、これがわからない」「お母さん、ここどうしたらいいの」お母さん、お母さん、お母さん…とりあえず、横からたくさん話しかけてくるので、そのたびに手を止めなければならない。

1時間すら、完全に集中できる環境にはない。

だから、作業をするなら夜なんだけど、夜にやりたいことをまとめてやると、結局寝るのが3時くらいになって寝不足になる。寝不足になるとさらに思考はまとまらなくなる。

20代のとき、もくもくとサイトを構築して収益化して30代で会社員並みの収入にになった。そのときも、子どもたちを寝かしつけたあとに作業していた。若かったのもあって、夜更かししたところで思考が暴走することもなかった。いや、若かったというより、道が見えていた、道を作ろうとしていたから、思考がブレなかったのだと思う。

夜更かしはよくない。とはわかってるけど、夜しかできない環境の人間に、夜更かしはよくないという苦言をするより、夜に効率よく作業できるよう、なるべく早く取りかかれるように協力するほうがいいと思う。

一時期、夜11時には寝て、休日でも朝は8時頃起きて活動していたときもある。夫は、そのときのことを「楽しかった。」と表現したけれど、あのときは、日中誰もいなかったんだよ。だから、やりたいことを日中済ませられていたんだ。

いまは、週のほとんどの日、下手したら全員いるじゃないか。

さて、愚痴っぽくなってきた。こうして書いているときも、何度も子どもたちから話しかけられて手がとまっている。達成感を得られないこの感覚、子どもたちが赤ちゃんの頃、よく感じていた。あのときは辛かった。いまも辛い。

でも、いまは少しできることが増えている。留守番ができるから、思い切って2〜3時間くらい家を空けてもいいかもしれない。近所のショッピングモールの空き店舗に、コワーキングスペースらしきものができていた。車で数分だし、子どもたちにはスマホを持たせてるし。

とはいえ、自宅での作業が好きなわたしとしては、これは最終手段だけど。

そして、これを夫に提案されるとイラッとすると思うんだ。なぜかはわからない。行ってきたら?って言われると、あなたが子どもたちをどっかに連れてってくれまいか?と思うから。でも、いまコロナだし。下手にでかけられない。

ああ、閉塞感。

ここまで書いてきて、全部消したい衝動に駆られた。だって、これ、読んでるとさらに閉塞感を増長させるでしょ?

2021年9月10日

ぐちぐちと書き連ねてきたけれど、日記的なことを書くとすれば、昨日は生理初日で体調が悪くてほぼ寝ていた。もう更年期に片足突っ込んでると思うんだけど、きっちり28日周期できてくれる。けれど、日数は短くなった。

人生のほとんどを月に左右されて生きる女は、めんどうくさい。もういらないんだし、早く解放されたいな。

来世は猫好きに飼われてる猫に生まれたい。

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