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元ヤングケアラーだった私が望んでいたこと

これを書いている時間は朝ではないのだけれど、今日、いま書いておかないと忘れてしまうだろうなと思ったので、朝の反省会として書いている。

今日はヤングケアラーだったわたしの子ども時代について。

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ヤングケアラーについては、こちらのPDFを見てほしい。

ヤングケアラー実態調査(埼玉県)

どのような場合がヤングケアラーと定義されるのか、イラスト入りでまとめてあるのでわかりやすい。

これを見る限り、わたしはヤングケアラーだった。
当てはまるのは以下の内容について。

・家族に代わり、幼いきょうだいの世話をしている
・目を離せない家族の見守り
・アルコール、ギャンブル等の問題がある家族の対応

数日、数時間ではなく、数年にわたってこのような状況にあった。当時はヤングケアラーなんて言葉は知らなかったけど、自分の状況が「当たり前」だと思ったこともなかったように思う。

「なんでわたしばっかり。でも、親も忙しいから助けないと。」

疑問と葛藤を抱きながら、友達との約束をキャンセルしたり、あるいは自分の時間を満足に持てないまま、日々過ごしていた。

祖父母と同居にも関わらず、10歳下の弟を保育園まで迎えに行ったり、歯医者や小児科に連れて行っていた。当時はガバガバだったから、保護者ではなくても「お姉ちゃん」なら大丈夫だったりした。

祖父母たちは何をしていたのかというと、家でテレビを見ていた。母との関係は良くなかったから、母はわたしのほうが頼みやすかったのだろう。

わたしが、大人になって一人の時間を渇望しているのは、弟のお世話をするために自分の時間を注ぎ込んできたときの影響が大きいかもしれない。

目を離せない家族の見守りについては、わたしには記憶があまりないのだが、祖母が事故に遭い、脳に障害を負ってしまったことがある。長期入院し、大変だったそうだ。退院後も意味なく徘徊するほどに記憶が飛んでいたときもあり、当時4歳だったわたしが、祖母から目を離さずにいたらしい。

大人たちは何をしていたのかというと、仕事をしていた。だから「ばあちゃん」がどこかに勝手に行こうとするたび(自宅療養中にも関わらず)に、泣きながら、自営業をしていた親のいる事務所に駆け込んでいたらしい。

あまりにもストレスだったのか、つらかったのか、わたしはそれをきっかけに喘息を発症した、と母が言っていた。

アルコール依存はブログにも書いたことがあるが、父だ。父がアルコールに依存しはじめたのは、たぶんわたしが中学校あたりからだと思う。お酒を隠したり、体調を大きく崩すようになったのは、17歳から18歳だった頃。

ただ、この頃は自宅にあまりいなかったので、正直覚えていない。自宅にいなかったのは、自宅にいたくなかったからだ。ケアをしていたというより、家が安全基地ではなかった。

お酒のせいでハラスメント的な発言も多くなるから、できるだけ父親と顔を合わせたくなかった。

***

いま、母に「自分の時間を満足に持てないまま、日々過ごしていた。」とわたしの気持ちを伝えたところで、「え?好きなことやってたじゃん!」って帰ってきそうではある。もちろんこれは想像なので、違うかもしれないけれど。

家族であったとしても、他人の時間について無頓着であったりする。母には、わたしが好きなことばかりしていたように見えていたとしても、わたしはあのケアをし続けていた日々を忘れたことはない。あのとき感じた不満や辛さを、ありありと思い出すことができる。

それでもわたしはきっと、これからも「しょうがないよ、あのときは大変だったもん。」と飲み込み続けるんだと思う。

本当は不満を口にして、ちゃんと自分を見て欲しかったと言いたくても、一生言わないまま、飲み込んで生きていくと思う。

ヤングケアラーは、早く大人にならなければいけなかった人たちだ。
子ども時代を子どもとして自由に過ごせなかった人たちだ。

だから、自分が親になるときに決めたことがある。
自分の子どもには、多くの時間を自分以外のことに使うような生活はさせないようにしよう、と。

元ヤングケアラーだったわたしが、当時何を望んでいたのか。

まずは「ありがとう。」という言葉。
そして、「あなたのこともきちんと見ているよ。」という承認。
「今日はやりたくない。」と言える選択肢。

やらなければいけないというのはわかっている。だからこそ、きちんと認めて欲しかった。わたしが代償を支払っていることについて、それに対して多少なりとも傷を負っていたことについて、わかっていてほしかった。

***

少し気になったのは、ヤングケアラーについてみてみると、家族のサポートをするという自然な行動にも見える点だ。きっと、どの家庭にも少しくらいは当てはまるものがあるのだと思う。

ポイントとしては、数ヶ月、あるいは何年もその状況を「子ども」が担っている場合が問題になるのだろうと思うし、子どもの心理的負担も大きくなるのだと思う。

わたしは幸いにも、子どもの頃から「こんなんおかしいやろ」とどこかで思っていたり、家族の世話を無理してやることが美談にはならないとどこかで感じている部分があったので、そこまで深刻な影響は受けなかった。

大人になったいま、手元に残ったものが不満くらいでよかったと思っている。

ヤングケアラーだっただろうと思われる友人がいる。その友人はシングルマザー家庭の子で、小3の頃から新聞配達をしていた。正義感が強く、真面目で、親のことを大切に考えていたように見える。兄がいたのだが、パシリとしてよく使われていたのを聞いている。

彼女は、子連れの男性と結婚し、男性の子を育てあげた。自分の子はいない。本当の親ではないにしろ、向き合い、しっかりと育てあげたことに誇りをもっているのだろうと思う。そのような話も、会うたびに聞いていた。

子どもが2人とも成人したあとに待っていたのは、夫からの離婚届だった。

その夫(元だが)は、話に聞く限り、友人を家庭に縛り付け、仕事をすることも許さず、家のことをすべてやってもらってきたらしい。自身の母親の世話までさせて、最後は離婚した。

幼い頃から誰かの、とくに家族のケアをすることが普通だと思っていたからこそ、夫の要求には、すべて答えなければならないと思っていたのかもしれない。

ヤングケアラーの問題が表面化しないのは、自分を犠牲にして家族の世話をすることが美談として多く蔓延っているからかもしれない。
自分の時間を犠牲にすることについて、他人の時間を犠牲にさせていることについて、気を配ってみる必要はありそうだ。


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