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そういえば、風鈴の音を聞かなくなった。。

↑スティヴィーワンダーいわく

⚪️日本には、自分のインスピレーションを再現してくれるドリームマシンGX~1があり「生きた音」を奏でてくれる。

⚪️日本人は特殊な能力を持っている、だって日本人はどんな音でも音楽として聞こえるんだからね。

⚪️日本人が持つ音の感覚が特殊である。

⚪️「風鈴の音」を聞いて、涼しさを感じる。
⚪️われわれ外国人とって不快な虫の音でさえ彼らは音色として楽しんでいる。

⚪️こんな繊細な感覚はきっと日本人にしかないだろう。

⚪️子どもが生まれて、はじめて鳴き声を電話越しに聞いた時、これ以上ない素晴らしい音色だと思ったのだそう。

↑こちらを見て、
そういえば、今年は風鈴の音を聞いてないな…と思った。
東京で育ち、在住のわたしだけど、
数年前までは、どこかしらから聞こえてきていた気がするのだけど。。

風鈴をつるす家が少なくなったのかな。
少し調べると、風鈴、苦情…と続いて検索されていたりする。。

大丈夫かな…日本人。
そういえば、日本特有の情緒につながる「音」は、
街からどんどん消えていっている気がする。


演劇では、日本人だけにオノマトペがあると、ロシア人演出家が言っていた。
わたしのやっているシマ唄は裏拍子なのだけど、これも日本人特有にも思える。。

しかし、この日本人の感覚、
近年?失いつつあるのかも…とも思う。

例えば裏拍子、
音楽をやっている人でも、裏拍子の説明をすると、
「単に表の反対」と思う人が多いらしい。
裏って、何と言うのか、心に奥につなげていく作業なのではないか?、、
といっても。。言葉での説明もむづかしい。。

オノマトペも、
ワクワク、ゾワゾワ、ムカムカ、ルンルン…など、
その音が心に入っていき身体を動かしていく。。

「それが、日本人にしかないの?」
とわたしは驚いて、それを聞いたロシア人の演出家に聞いた
「そう、日本人にしかない」と。。。
しかし実際見ていても、確かにあるはあるけど、
深くまで入っているかは少しギモン。。

虫の音も、
先日、蝉の音をめちゃめちゃ嫌がっている黒人(ハーフ?)の男の子を見かけた。
あ、ほんとに虫の音が雑音に聞こえるのかもしれない。

私たちにとっては、蝉の鳴き声は、
ギラギラやジリジリと相まってワクワクしたり
夏の訪れを知らされ、いよいよだなー♪と感じたり、
大人になると、家族の風景を思い出したり情緒につながる。
これはまだ日本人には入ってる気がする☺️
(蝉がいる国は数えるほどらしい)

そういえば、わたしにとっての今年の高校野球の
サイレンの音と金属バットや声援の音は
「高校野球が始まった季節」の音から、
(父が亡くなってから3年目の夏に)「父の見ている姿を思い出す」
情緒に繋がる音に変わっていたのは、新しい発見だった。

この、音を情緒に繋げる感覚。
スティービーワンダーの言う、どんな音をも音色や音楽として楽しむ
日本人が持つ特殊な能力。

これらは失ってはいけないものだと思う。
なぜ、失いつつあると見えるのか。

それは、頭ばかりを使う人が増えたためだろうと思う。
損得や上下の勝ち負けで物事を見てしまうこと。
他人(外側)の言うことばかりを聞いて
自分自身(内側)の感覚がないこと。。

頭ばかり(損得、勝ち負け、比較、嫉妬、計算、駆け引き、等)を使うと心が閉じる。
頭をなくすと心がひらく。
心をひらく(自身の内側を知る)ための頭を使う。と言った方がいいでしょうか。


勝ち負けや争いというと、
物質的や騒々しいことを思い浮かべるかもしれないけど、

カヴァートアグレッシブというのもある。
善人のふりをして他人を攻撃するというものだけど、
日本人にはかなり多いのではないかと思う。
表面は穏やかだけど、
イヤミや意地悪で隠れたところ(カヴァート)
から他人を貶めて攻撃している姿はよく見る。
(炎上というのも、この一部でしょう。)

わたしはこれを日本人特有の静かさや慎みや陰…というものが、
一番わるい形で表現され残ってると思っている。


たぶん、昔の日本人って、
もっと怒ったり泣いたりケンカしたり…したのではないかなと。
そして「ちゃんと心が解決していて」
心の底から笑ったり静かだったり
そこからにじみ溢れるような微笑みがあったのではないかと思う。

それは、他人(外側)からどう見られているいかではなく、
自分の心(内側)がどんな状態かということに
もっともっと繊細で敏感だったのだと思う。


今は、他人からどう見られているかばかり気にして
良い人や賢い人や優しい人正しい人でいたがり
自分自身の奥がどう感じているかは無感覚で、
他人の些細な言動に異常に傷つきやすく
しかし他人を傷つけることには鈍感な
センシティブな人が増えているように思う。

これでは日本の精神性は良い方向にはいかない。

マウントという言葉が流行ったように、
他人より上でいたい勝っていたいという気持ちが
人生の基本のようになっていて、
権威や物質や数字や他人に好かれていたいという争いだけではなく、
わたしの方が「がある」
「頑張っている」「わかっている」などの精神的なものまで
争いの種にしている姿まで見かける。。

どんな戦いからも愛はうまれない。

それらの自分の心の中の戦い全てをなくすことで、
心というものが見えてくる
情緒というものに繋がっていくことだから。。

これらは本当に取り戻すべきものだと思う。
日本人として。
日本の情緒、文化は、
たとえ、国がなくなったとしても残されていくべきものでしょう。

しかし、これも「感性」の問題なので、
強制したり分からせようとして分かるものでもない。

興味を持ったもの同士にだけ
心をひらいて協力しあっていくことができるもの。。。

わたしは、そういうことをしていきたい。
ひたすらに。

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