超高齢社会の中でいのちと尊厳は守られているか②
2011/10/24
13年も前になる研修 続きです。一応完了です。
介護職へのメッセージと思えますが、もっと広く誰にでも当てはまる部分があるように思えます。
介護者に求められるもの
適切にコミュニケーションがとれる人 明るい人イコールではない
いろいろな性格の人の集まりが人間社会である
社交的でない 話下手 暗い 介護に向かないのだろうか?
普通のこと以上を求める必要はないが、
人の不幸を何とも感じない人は介護の現場には不向きである。
介護者に必要な能力
◎ 人に対する興味は武器になる
◎ 不幸を作り出すために介護があるわけではないという常識
◎ 求められるものは想像力と創造力
良い支援者となるために
◎学習に終りはない~人の生活に関わる支援~生活とは最も個別で非専門領域である~そして日々変化するものである
◎感性を働かせて、良いケアパートナーとなろう
忘れないでいてほしい事
介護の求められること
◎ 特別なこと、高度なことではなく、
ごく当たり前の「人間らしい暮らし」が守られるための支援
◎ 当たり前のことを考えられなくなってしまう支援者によって、
介護を必要とする人々の暮らしは守られなくなってしまうのです。
結果責任
※ (私のメモ書き) 一生懸命 意味ない 結果を問う人になる
私たちは利用者の最も身近な代弁者にならなければならない!!
アドボケイトのもう一つの意味は「傍らにいることを許されたもの」
※ ここから 私のことになります
思い返す特別養護老人ホームでの介護
4年ほど訪問介護の仕事をしたあと、15年も前ですが、2008年に特別養護老人ホームに約1年勤めました。初めての施設での介護職でした。
ユニット型のケアは、介護職がひとりの場面が多く、新人は多床室型の施設から始める良いと思います。5年前に多床室型を経験して思いました。
何度も思い出しては後悔していること たった1度だけど
排泄の時間帯になった時に、先輩パート職にじゃんけんしようと言われ正規職員と私(フルタイムパート)の3人でじゃんけん。勝った人から利用者を選んで排泄介助に入ると。介護拒否のある方に誰が入るかということです。
感覚麻痺
陰でじゃんけんしたならまだ良いのです。ユニットの食堂で利用者もいる中でした。感覚の麻痺です。
「当たり前のことを考えられなくなってしまう支援者によって、
介護を必要とする人々の暮らしは守られなくなってしまうのです。」
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