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念願のアメリカ留学

そしてついに念願のアメリカ留学が叶った!

高校2年の夏からアメリカのフロリダ州に1年間留学した。

フロリダ州に行く前に、ワシントン州シアトルで約1ヶ月間の語学研修に参加したのだが、そこには日本人留学生の他、台湾やインドネシアからの留学生たちがいた。

研修は緑豊かな大学の敷地内で、大学の寮に宿泊しながら毎日英語を学んだり、アメリカ文化を学んだりした。私のルームメイトは台湾の子で、とても親切で優しくて聡明な子だった。日本人に似た感覚を持っているので、彼女がルームメイトで私はとても心地良かった。

語学研修中は、留学を夢みてきた子達が集まってきているので、とても楽しい時間を過ごすことができた。私のようにアメリカかぶれしている子たちばかりなので、話も合う子たちばかりだった。仲良くなりすぎて、最後の卒業式ではお別れが辛くて皆で号泣したのを覚えている。

語学研修を終えてからは、各自ホストファミリーの元へ旅立つ。

私はワシントン州から離れたフロリダ州だったので、現地に着くには少し時間はかかった。途中のトランジットがうまくいかず、どこかで一泊してからようやくフロリダに到着した。

私のホストファミリーは、元軍人のお父さんと家庭科の先生をしていたお母さん。2人ともうちの親よりも年配の子供のいない夫婦だった。ブーツという可愛い犬もいて、プールもついているお家だった。

フロリダ州にはリタイヤして住む人が多く、私が住んでいた場所もお年寄りの多いコミュニティだったので、私は近所の方々にも可愛がってもらえた。

私は小学校1年生からピアノを習っていて、ピアノを弾くのがとても好きだった。姉もピアノが好きで、いつも弾きたい曲の楽譜を買って来るので、私もよく姉の楽譜を見ながら弾いたりしていた。
姉がショパンの「幻想即興曲」をよく練習していて、私もつられてよく練習していた。

留学前に、何か特技があると友達を作るきっかけになるという話をよく読んでいたので、私もピアノを特技にしようと考えていた。

この考えは大正解で、ピアノを弾くご近所のおばあちゃんとすぐ仲良くなれ、ピアノが弾きたい時はいつでも来てねと言ってもらえた。
アメリカの高校の授業でも、オーケストラというクラスを選択し、ピアノ担当にしてもらった。
そのクラスで幻想即興曲を練習していたら、天才少女のように扱われ、コンサートで弾く事になり、弾いたあとは拍手喝采であった。

この時はピアノをやっていて本当に良かったと思った。
日本では決してそこまでの評価を受ける事はなかったが、アメリカではピアノを弾く人が多くないのか、やたら尊敬されていた。

アメリカの高校は、私が想像していた学校より遥かに規模が大きく、最初はビビりまくっていた。初日はホストマザーに教室まで付き添ってもらい、不安なまま授業を受けた。

日本ではネイティブとの会話も大分理解することができていたので、わりと英語力に自信があったのだが、現地に行って、日本にいたアメリカ人がいかにわかりやすく話してくれていたのかを思い知らされた。

高校生だから話すスピードも速いし、はっきりと話してくれない子もいる。まったく理解できない事に一気に自信喪失した。
さらに追い討ちをかけたのがアメリカンヒストリーのクラスの先生の英語。彼の英語は南部訛りがとても強く、最初はまったく聞き取れなかった。
アメリカの高校は授業を選択して受けるのだが、必修科目ももちろんある。その一つがこのアメリカンヒストリー。

この授業は本当に難しかった。
教科書のほとんどが知らない単語だらけで、毎日ホストマザーに助けられながら必死に勉強した。最初は落第点Fを取りそうな勢いだったが、勉強の甲斐もあり、徐々に成績は上がっていった。
留学中の勉強に関しては、このクラスのインパクトが強すぎて、他はほとんど覚えていない。

アメリカの高校に留学して衝撃を受けたことが3つあった。

1つは学校専属の保安官がいること。銃も持っていたと思う。
日本では考えられないことだが、アメリカでは銃で身を守るという考えが普通にある。
でも高校にも銃が必要なのかと、初めて見た時はびっくりした。

2つめは、人種間に隔たりがあるということ。
日本で見ていたアメリカドラマでは、アメリカでは色んな人種の人たちが仲良く混ざり合って暮らしている様子が描かれていたイメージだったが、実際には、やはり人種によってグループが分かれていたり、住んでいるエリアも違っているようだった。仲良くなった友達も、別の人種の人とのデートは親に禁じられていると言っていた。
今はどうかわからないが、私がいた時代はまだまだ隔たりは強く感じた。

3つめは、高校生カップルのいちゃつき方が半端ないこと!
休み時間の度にカップル達は中庭でイチャつくのだが、男の子の上に女の子が乗っかって、かなりディープなキスをしていたりする。そんなカップルがたくさんいて、私は目のやり場に困った。

日本の高校生はなんてウブなんだと思った。

同じクラスにいた私より2つ年下の女の子が妊娠して、大きなお腹で授業を受けていたが、先生も普通に接していて、そのクラスでびっくりしているのは私ぐらいだった。

アメリカは色んな意味ですごいな〜と思ったのが留学した私の感想。
日本は平和で良い国だという事も、アメリカに行って初めて知った。

留学をして本当に良かったと思う。
英語がペラペラになったかというと、それは1年では足りないと実感したが(少なくとも私は)、夢でも英語を話していたり、とっさに出る言葉が英語になっていたり、帰国後、叔母に日本語の発音がおかしいと言われたりしたので、1年で吸収したものは多かったと思う。

私の生涯の中で自分の夢を叶えようとここまで必死になって取り組んだのは、やはりこの高校時代の留学だと思う。
私の熱意を信じて行かせてくれた親には本当に感謝している。


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