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毒母

 毒母・・はじめて聞いたとき、衝撃を受けました。こわくて意味を知ることはできませんでした。一昔前、ステージママという言葉がありました。よくも悪くも、少しやんわりした表現だと思っていました。が、毒・・とは。

 思い切って調べてみました。なるほど・・・。世の中のお母さんが毒母という言葉に恐れをもたないだろうか。自分を責めないだろうか。

 子育ての愛情は、毒と言われる部分とすれすれの時もあるものです。時代により環境の変化があるものの、子育ての事実は変わらない。手のかかる子はいるもので、みんなが手をかしてくれた環境は今はない。今あるのは、しつけがなってないとか、基準とくらべてジャッジする目と言葉。

 「ののしり」と「言葉使いが悪い「」のとの差。「至れり尽くせり「」と愛情豊」との差。「仕事に逃げる」と」「仕事との両立」との差。「感情豊か」と「感情攻撃」との差。どれも難しい線引きがあります。

 すべての母が愛情があるわけではないのかもしれません。心の世界は奥が深いものです。毒をもった言い方しかできない人も確かにいるのかもしれません。

 お母さんは、24時間営業です。体がくたくたなのに3時間おきに起きてはおっぱいをあげるのです。毎日、休みのない家事と育児。何もひとりで出来なかったときから、ひとりで歩けるように、トイレもひとりで行けるように、信号を守ることができるようにするのです。社会にでていけるように、必死です。

 母に対しての気持ち、誰かのせいでこうなったという気持ち、大きくなった子どもたちがもつ、いつの時代にもあった気持ちです。

 毒母から子どもを守る社会があるとすれば、毒母を責めることよりも、言葉に愛がこもるような社会をつくっていけないだろうか。

 ブラック企業なみの子育てに、文句も言わず、笑顔で毎日続けているお母さんはすごいです。すごいね。えらいね。大丈夫だよ。穏やかな言葉がつくるお互いの気持ち。自由に発言できる世の中だからこそ、規制よりも大事なことがあるように思います。

 わたしは毎日、ブログを書きます。日々の暮らしに穏やかな気持ちが舞い込みますようにと願いをこめています。私の子育ての時間。大好きな子どもたちとの時間にも笑えないくらい大変だと思った瞬間があります。わたしが選んだのは笑顔でした。あの時、心を一つに決めていなければ毒母と言われるように子どもたちの心に残したものは全く違うものになっていたように思います。大好きなのに、どうしようもなくなる気もちがある。大好きだという気持ちを大事に日々すごせますように、心がやさしい方向へ向いていけるような言葉があふれる世の中であってほしいなと思います。

 きれいごとだけでない事実も知りながら、すべてを枠にはめていかないように、丁寧に母という言葉を使っていきたいと思います。

 




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