見出し画像

2024年5月の日記

1日(水)
息子は昨日の夕食後にバナナを2本食べたが、今朝もバナナを1本食べた。そういえば昨日は夕食時に納豆を2パック食べて、今朝も納豆を1パック食べた。バナナと納豆がいくらあっても足りない。これも育児。立派な育児。

2日(木)
先月「やろう」と決めたことがあり、今日やっと着手できた。思っていたよりも大変ではなく、大変ではないことにすこし心配になったが、本当にやりたいことってそんな感じなのかも。

3日(金)
息子が発熱マンなので自宅療養。よく晴れた連休初日に外に出たい息子をなだめながら家で療養させる、という過酷な1日を過ごした。

4日(土)
息子の自宅療養2日目。思いのほかどこかで上がった花火が家のベランダからよく見え、息子と一緒に「どーん!」と言いながらはしゃいで楽しんだ。

5日(日)
家族でホテル泊。すべての子守りを私に任せ、なにかと理由をつけては1人時間を確保してのんびり過ごす夫に苛立つが、わたしとふたりの時間を笑顔いっぱいに過ごす息子を見てハッとする。夫との不平等感にイライラし、目の前の幸せを味わえなくなっている。わたしはいま間違いなく幸せなのに。そんなのはもったいないので、ハッとした後は全力で息子と遊び、笑った。

6日(月)
小説に出てきた「最善ではないが、最悪でもない」という言葉に立ち止まる。いい言葉だな。しんどい時の薬にしよう。

7日(火)
息子のママ愛が加速している。いつか触るな、聞くな、話しかけるななどと言われる日がくると思うと落差が恐ろしい。一生を通して分散して欲しい。

8日(水)
息子の白米好きが加速している。ごはんを3杯食べて、納豆を2パック食べた。野菜はすこしだけ食べるが、お肉はまったく食べない。これでいいのだろうか。

9日(木)
寝不足と多忙と一歳児育児が並行すると、物が次々となくなっていくことに気付く。まじでどこを探しても見つからない探し物がふたつあり、気持ちが落ち着かない。

10日(金)
本日納期の原稿を23:58に提出した。達成感はあるがダメな気がする。

11日(土)
息子の鼻水が止まらないのは心配だが、鼻水からなぜかプールの匂いがしてかわいい。

12日(日)
どこへ行っても「今日は母の日ですよ」PR強めで気まずい。夜、母の日プレゼントをもらえたけど、嬉しいというよりホッとしたのがなんとなく申し訳なかった。PRめ。

13日(月)
取材をした相手が「嫌です」をとてもはっきり言う方だった。わたしは嫌なことを嫌と言う大人にあまり会ったことがなかったので、なんだかうれしかった。ストレートに感情を伝えるって、ある種の信頼だよなぁ。

14日(火)
エイサーにハマっている息子。家で四六時中「イヤササー」と言っているが、保育園でも言っているらしく、息子があまりにも楽しそうに「イヤササー」するものだから、他の子たちも「イヤササー」しはじめたらしい。好きを伝播させた息子が誇らしい。

15日(水)
あと少しのところで原稿がきまらず、時間がもったいない、さっさと仕上げろという気持ちと、この時間を邪険にしたらなにもかもがおしまいだという気持ちがせめぎ合う。

16日(木)
「やりたいことをやる」だけじゃなく「やりたい規模感を見極める」を意識するようになり憂鬱なことがかなり減った。「期待に応えるために挑戦する」が正しいと思っていたけれど「期待されて自分も挑戦したいと思ったからやる」が正解だよな。

17日(金)
ためされてるな、と思う仕事が増えている。やるぞ。

18日(土)
しっくりこない原稿を書き続けてうんざりする。うんざりしながら書き進めようとするのが問題なんだと思い、しっくり来ない部分を思い切って全部消したらほとんど文字がなくなって唖然とした。

19日(日)
最近息子がごはんを食べるたび「おいしいね」と言う。おそらく覚えたての言葉を使いたいだけだろうが異常にうれしい。わたしはかなり昔から、家族でおいしいねと言い合いながらごはんを食べたかったんだなと思った。1歳児が36歳の夢を叶えた。子どもってすごい。

20日(月)
体調が悪い日に限って息子がわたしから離れようとせず疲弊。ちょっと寝かせてよ〜と駄々をこねるが、ふと息子は息子で体調が悪そうなわたしを見て不安なのかもしれないと思った。早く治そう。

21日(火)
体調悪化。薬を買いに行ってくれた夫がベテランの店員さんに当たったようで、アドバイスに従い色々買ってきてくれた上にうんちくを大量に仕入れてきてくれた。しんどいのでほとんど頭に入ってこなかったが気持ちがうれしい。

22日(水)
昨日夫が買ってきた怪しげなドリンクを飲むと、おそろしくまずかったが途端に元気になり驚いた。こんなことなら昨日飲んでおけば...とは思わなかった。昨日のわたしならきっと吐いたはず。

23日(木)
難しい原稿に挑んでおり、テーマの重さと自分の未熟さに苦しむ日々が続いている。息抜きに読んだ小説があまりにも物騒で笑った。

24日(金)
お昼、おいしいお寿司を食べながら、かねてより興味があった知人の人生について根掘り葉掘り聞いた。いい時間。

25日(土)
夜、お風呂場から「おしっこしてたのかー」「まったくもー」という夫の声と「ひゃっひゃっひゃっひゃっ」という息子の声が聞こえてきた。平和。

26日(日)
今日もお風呂場から「もー!」「ひゃっひゃっひゃっ」が聞こえてきた。平和。

27日(月)
北朝鮮の人工衛星アラートが鳴る。夜23時である。息子の夜泣きが始まる。

28日(火)
苦しみながら仕上げた難しい原稿に、編集長よりとても心のこもった赤字をいただいた。そこに込められた「まだいけるだろう」という期待がうれしくて泣いた。

29日(水)
わたしの原稿がだめになる原因のだいたいが自信のなさに起因すると思っていたが、違った。自信がないなりに思考を詰めて、今の自分が出せた言葉を言い切る、みたいな覚悟の問題だった。

30日(木)
息子発熱にて急遽仕事休み。大事な息子を抱き抱えつつ、明日も保育園行けなかったら困る...と考えてしまう自分がほとほと嫌になったので、そんなことを考えないために徹夜で仕事をすることにした。と思ったら夜泣きが激しくわたしが隣にいないとダメそうなので、暗闇の中スマホを駆使して原稿を書く。寝落ちしませんように。

31日(金)
息子の熱が下がり、朝からセミが鳴いている。ファンファーレのようだ。5月最終日にセミが鳴き出すまち沖縄...と思っていたら、思いがけず今日はうれしいことがたくさんあり、わたしの喜びにセミが共鳴しているようで気持ちよかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?