猜疑心の出来上がり方

こんにちは、今日は猜疑心はどのように生まれるのかについて考えたので書こうと思います。

猜疑心っていうのは、人を疑うってことです。

結論から言うと、経験から来ていると考えています。
例えば、自分が日ごろから人から感謝されていればどんな人からも感謝される方法を知ることができます。(?)
こんな感じで、自分が日常的に嘘をついたり人を簡単に騙していたりすると、自分が簡単に嘘をつくのだから相手も嘘をついている可能性が大いにある。と考えてしまいます。

こういう人の警戒を解くには相手の警戒心が解けるまで親切にすることです、経験から来ているので長く親切にすればこういう人もいるんだ と例外を作るでしょう。
だがしかし重度の人だとどんなに長く親切にしても『こいつは俺の警戒を解いて害を及ぼす気だ』などと警戒心は解けません。
まあまずそういう人は他人に対してあまり良い対応はしないので親切な対応をする人は現れないと思いますけどね。

はい。終わりです。駄文です。
近況報告書きます。
僕自身人見知りなので人とあまり話さないんですが、そのせいでバイトの時間ほとんど無言になってしまうんですよ。つまらんですね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?