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恥ずかしい日記

日記は他人に見られると恥ずかしいもの。ブログも同じなのではないか。文字を綴ると言うことは、自分の内から出てくるものをさらけ出すということだから。


でも毎日、ノートに今日もわたしが生きた記録を書き留めるのはかなり難しい(私にとって)。だからnoteに書いてみる。

わたしの日常は、どうやら人より数倍は面白いらしい。実家に帰省した時に近況を母に話すと、そう言いながら大笑いする。だから誰かにとって私のさらけ出した文章が母と同じように感じてくれたら嬉しい気がするから書いてみる。


と言ったところで、何を書けば言いか非常に難しい。ふと思いたって、未来のわたしが思い出して欲しいような事があったら、その時にまたnoteを開いてみよう、かな。
写真は育てた、白いイチゴ。先週一粒目が収穫できた。かわいいいちご

いちごの説明をするために「写真」と打ったら、予測変換で「写真は心のシャッター」と出てきた。SAMSUNG、驚きの予測変換提案してくる。

そう、それで思い出したけれど、昨日花火を久しぶりにみた、約3年ぶりぐらい。かいて驚いた。3年も前なの??コロナの影響なのかはたまたそうでもないのか、兎にも角にも光陰矢の如しすぎて、同じ場所で同じ花火を見ていた、高校生だったわたしも気が付いたら大学二回生になっている、、、。びっくりね、、。前に見たときは写真を撮ったり、半ば連発の花火に興奮しながら小躍りしてみたり、綺麗だねと話をしながら眺めていたけれど、今回見たときはあっという間だった。きっと放心状態で花火を見ていた。日常の焦りや、何かに圧迫された気持ちがスーッと放たれた。20分程度の1万発の花火が、瞬間に終わってしまった。とても良かった。思っていた以上に綺麗だった。花火をみて綺麗だと思える感受性がまだ自分にあったこと、時間の流れをじんわり感じ、どれほど日常を訳もなく生き急いでいるのか、再確認することができる時間だった。写真を見せたいところではあるのに、1枚も撮影してない、残念、、、
「日常」といってさらに思い出したことがあって、ゆめのイルサンの「イルサン」の部分は、韓国語で「日常」という意味なんです。お見知り置きを、とか言っちゃって面白い。

読み返して思ったけど、ちょっと文が固いかも。わたしってこんな文章書くんだ。

眠い寝よう、
明日はバイトも何もない土曜日だ、、嬉しい
今日も生きてて偉い、おやすみんみんぜみ


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