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「文学極道」最後の日々

【はじめに】

以前から文学極道の最後の時期について書き記しておこうと思っていたしTwitterでも予告はしていたんですが、新型コロナウイルスをはじめ公私共に次から次へ厄介事が持ち上がりなかなか手をつけられずにいました。それでも暇を見つけては少しずつ書き進めて、ようやく作業を終えることができました。

最初に断っておきますが私がこのことについて書くのは客観的に「文学極道が閉鎖されるまでの約2年半の間に何があったのか」を記録しておくためです。多くの方々からこの点について質問されたり憶測でイヤミを言われたり教えてほしいと頼まれたりしたので、自分が見てきたことを可能な限り客観的に記録しておこうと考えたわけです。特定の個人を攻撃したり中傷したり貶めたりすることが目的ではないので、登場人物に関して具体的な名前はいっさい書かないし、具体的な内容についてもかなり省いてあります。具体的な名前や内容を知らなくても、文学極道がどうして終わったのかを理解する妨げにはならないと考えるからです。当時、文学極道にスタッフや投稿者や読者として関わっていた人たちにはこの書き方でもある程度は分かるだろうし、逆に言えばそれでピンと来ない人はピンと来ないままで良いと思っています。どうしてもこの内容では足りない、納得できないという人は自分で調べるか私以外の元スタッフに聞いてください。まあH代表については代表である時点で匿名にしても意味はないとは思いますが、一応は「H代表」としておきます。

それから文学極道というサイト自体が何かというと「裁判だ」「訴える」といった言葉が飛び交っていた場なので、こちらもいざという時には出るところに出る覚悟と用意を終えた上でこれを書いています。以下に記すことは膨大なWebアーカイブ、スクショ、動画や録音データといった客観的な証拠のある事柄だけだし、それらの中には本人たちも「それ」が残っていることを忘れてしまったものやそもそも存在していることすら知らないものもけっこうあります。まあ要するに「私を含めてみんな自分が思っているほど他人から信頼されてないし好かれてもいない」ということです。とにかくネット上のトラブル絡みの警察沙汰や訴訟は初めてではないので、理不尽に売られたケンカは買うし裁判で必要なら手持ちのカードはすべて晒します。

【気が付けば文学極道スタッフに】

さて、まず私が文学極道のスタッフになった経緯ですが、単純に言えば「自分が利用している掲示板が無駄に荒れて使いにくくて鬱陶しかった」からです。私は文学極道が本当に輝いていた初期の頃を知りません。ネットの噂や詩誌の記事等で存在自体は知っていたものの、当時の私はNetnewsに複数存在した詩のグループへの投稿に飽きて紙媒体をメインに活動していたので、文学極道という場にもあまり興味が無かったというのが正直なところです。いま考えると勿体ない話ですが、その頃の私は今よりさらにダメダメな書き手だったので結果的に参加しなくて正解だったと思いますね。しかし数年後に私が文学極道への投稿を開始した時、そこは投稿作品こそまだレベルが高い作品が多かったものの、コメント欄の方は某巨大掲示板の悪いところばかり真似したゴミのような書き込みが散乱する状態でした。

「腐ったばけものみたいなババア」
「詩人のなりぞこないのカスが。^^」
「今日、仕事帰りに、電車の隣の女の子のおっぱい触って、お◯んちん見せた」(原文は伏せ字なし)

こういった投稿作品の内容とはまったく無関係の、作者個人を誹謗中傷するようなものや単なる性犯罪自慢の書き込みが「荒らし」「老害化した一部の常連たち」によって日常的に行われ、削除や書き込み者へのペナルティーなどは後手後手という状態だったのです。特に女性投稿者への中傷や罵倒がひどく、精神的に参ってしまい投稿をやめてしまう人も少なくありませんでした。その中の数名はSNSでつながっていたので、私は彼女たちから悔しさや恐怖を訴えるメッセージを何度も受け取っていました。単に文学極道から離れるだけでなく、ネットの海そのものから消えてしまった人も何人かいます。そして標的にされる者のほとんどが、才能ある若手の女性詩人たちでした。

そんなわけで私は個人的に「このままじゃアカン」と思いました。それで参加者の立場で掲示板のコメント欄やフォーラムで「このままじゃアカン」と訴え続けたわけです。そのまんまですが。そのやり取りの過程で「荒らしへの対応を厳しくやるとスタッフたちのSNSアカウントが荒らされ、時には職場などへ抗議の電話が来たりするので萎縮している」という現実が分かってきました。そこでスタッフ側に「それなら自分が名前を出して対応してもいい。そうすることで攻撃の矛先は自分に向くだろうから」という提案をしたわけです。当然、彼らは私の心配をしてくれましたが前述の通り私はネット上のトラブルの経験が何度かあるので、一線を越えた荒らしには個人的に対応する覚悟と用意があることを伝えて納得してもらいました。そもそも当時の、そして結果的に文学極道最後の代表となったH氏とはSNSでもやり取りがありました。まだ文学極道に参加する前、書店で彼の詩集を見かけて気に入ったことが彼の名を知るきっかけでした。その後、ネットでやり取りするうちに同じ鹿児島在住というだけでなく誕生日が同じだったり身体の同じ場所に疾患を抱えていたり、そんなちょっとした偶然から作品だけでなく詩人としても興味を持つようになったのです。私が年頃の女の子だったら恋してたかも知れませんね(キモッ)。ですから当時の私は荒らしへの対応で疲弊しているH代表を少しでも助けてあげたいという気持ちもありました。まあ今にして思えば傲慢な考えでしたね。ええ。

そんなわけで私の提案を受けてスタッフ間で話し合いが行われ、私は2018年の8月から文学極道のスタッフとなりました。とは言っても当時の運営スタッフ全員と交流があったわけではないしシステム管理などはできないので、あくまでも「掲示板の管理と年間や月間賞の選考」を主に行うことで話をつけました。ですから自分では「正社員」ではなく「派遣社員」みたいな立場だったと思っています。とにかく、そんな経緯で文学極道スタッフとなった私は、まだ有望な投稿者たちが残っているうちにセクハラや誹謗中傷を「辛口の批評」と勘違いしているバカ共を何とかするため、さっそく積極的に荒らしへの対応を開始しました。時間がかかっても掲示板を女性でも安心して使える状態にして、当時活躍していた若手詩人たちの何人かに声をかけてスタッフとなってもらい自分は1人の投稿者に戻る。それが当時の私が考えていた道筋でした。あの頃は、それが可能だと信じていたのです。

【荒らしたちとの戦い】

さてスタッフとなった私は批評とは言えない個人への誹謗中傷と判断した書き込みを見つけては警告し、聞き入れない場合は他のスタッフと話し合ってから削除していきました。また運営の対応に不満がある場合は必ずフォーラムで申し立てをするように伝え、それを無視して掲示板で文句を言う書き込みは完全に無視しました。しつこく書き込む場合はそれもまとめて削除です。まずは参加者側に「投稿掲示板には作品と、作品に関する批評だけを書き込む」という当たり前のことを守ってもらうために、こうした警告と削除を徹底的にやりました。一投稿者に過ぎなかった私が急にスタッフになりそういう容赦ない対応を始めたのですから、当然反発の声も高かったですね。しかし私は理詰めで反論した上で、今後も対応を変えるつもりがないということを繰り返し伝えました。「運営に関する投稿者とスタッフのやり取りはフォーラムだけで行う」ということを徹底させるため、某匿名掲示板の書き込みはもちろんSNSを使っての批判や質問も無視しました。これは議論の記録をきちんと文学極道のフォーラムに残すことと、議論が複数の場に拡散して収集がつかなくなるのを防ぐことが目的でした。匿名掲示板やSNSへ話を持っていき議論そのものを曖昧にするのは、荒らし目的の人間の常套手段だったからです。

目に見える荒らし行為だけでなく、著名な詩人の作品やプロの楽曲の歌詞を使って自分の作品として発表する荒らし行為もたまにありました。今まではスタッフが忙しくて見逃されることが多かったのですが、私はこれも可能な限りチェックして対応しました。明らかな盗作行為は文学極道が著作権絡みのトラブルに巻き込まれる可能性があるので他のスタッフへの報告後に即削除。投稿者も荒らしと判断してアク禁です。単に著作権の知識や意識が低いために引用の範囲を逸脱したものに対しては、注意した上で削除か訂正を求めました。度重なる警告を無視して他の投稿者や文学極道運営への誹謗中傷を繰り返す者は当然アク禁です。しかし、こういう連中は食べ物にたかるハエのように追い払ってもしつこく戻ってきます。私は名前を変え素知らぬ顔で再び書き込む彼らを、他のサイトへの投稿記録などを検索して同一人物であることを突き止める方法で何度も繰り返し追放しました。

そこから先は私たちスタッフと荒らしたちの根比べです。しつこく居座る一部の荒らしは、昼夜を問わず荒らし行為に熱中していました。特にスタッフの多くが寝てしまう夜間は、誹謗中傷やゴミのようなコピペ荒らしが増加します。あの頃、文学極道にアクセスしていた方なら、必ず荒らしの書き込みを見たことがあると思います。でもね、Gと同じで実際はあの30倍くらいの荒らし書き込みが常に行われていたんですよ。それを私たちが頑張って次から次へ退治していたわけです。荒らし行為をする連中も大部分は昼間に学校や職場へ行って夜に書き込むというパターンが多かったので、深夜になると荒らし系書き込みが急激に増えました。そして当時の私は仕事の勤務時間が変則的で夜中に起きていることが多かったので、夜間に関してはほとんど1人で掲示板の荒らしに対応しているような状態でした。そのため、しばらくすると「内容やアクセスデータ等を保存した上で夢沢個人の判断により荒らしの書き込みを削除してよい」ということになりました。また、削除の正当性をはっきりさせるために必要な運用ルールを明文化するよう、スタッフ感で話し合いもしました。それまでは大まかで曖昧なルールだったので「何を根拠に削除をするのか」と言ってくる人間がけっこういたのです。ですから本来ならいちいち書く必要もないようなことも、ルールとしてきちんと表記するようにしていきました。

一口に「荒らし」と言っても色々あって迷惑行為そのものを楽しむチンピラもいれば、自分の作品がきちんと評価されていないと感じて文極スタッフに不満を持つ者、あるいはH代表や各スタッフへの個人的な恨みから粘着するストーカーまがいの人間など様々でした。中でも何人かのネット・ストーカーたちは一番質が悪かったですね。驚くべきことに彼らの多くはすでに詩集を発表している有名な詩人、あるいはネット詩の世界でのベテランでした。スタッフになった私は、その後も様々なトラブルが発生するたびに「著名な詩人」や「詩壇の重鎮」たちの醜い素顔を無理矢理に見せつけられることになります。

ちなみに私がスタッフになった後、H代表は「夢沢さんのおかげで掲示板が良い状態になってきた」みたいなことを言ってくれました。もちろん私はそれがリップサービスに過ぎないことを知っていましたよ。しかし実はこの時点で、彼は常連投稿者の一人に「正直、スタッフのほとんどが荒れまくる夢沢さんのやり方に反対している。私は板挟みだ」という内容の発言をしていたのです。「スタッフのほとんどが」が事実なのかウソなのかは知らないし今となってはどうでもいいですが、彼が「その場にいない人間の悪口を言うことで目の前にいる人間の機嫌を取る」という人間であることを知ったのは、本人の言動が原因で最初の大騒ぎが起こってからでした。後で証拠のスクショをいくつか見た時は本当に驚き呆れたものです。これを読んでいるあなたにも言いたい。「あなたの前で他人の悪口を言うヤツは、間違いなく他の人たちの前ではあなたの悪口を言っていますよ」と。

【崩壊の兆し】

さて私がスタッフになった後も文学極道掲示板への書き込みは良くも悪くも活発でした。私を含めスタッフは「個人への誹謗中傷」や「盗作などの不正行為」等には容赦ありませんでしたが、投稿作品自体はなるべくノータッチでいることを心がけていました。現代詩より過激な内容が多いネット詩作品はグロテスクだったり猟奇的だったり、時として差別的な表現すらありました。しかし我々スタッフは表現の自由を重視し、可能な限り作品内容の修正を求めたり削除をしないようにしていたのです。しかしスタッフが容認しても他の参加者が問題視することがあります。それは純粋にモラルを重視した結果であることがほとんどでしたが、中には作者個人への悪感情から重箱の隅をつつくようなケースもありました。そして後者への対応は荒らしへのそれよりはるかに難しかったのです。

私がスタッフになってからも、作品そのものやコメントでの「差別的」な表現や発言が何度か問題になりました。そういうことに関して議論するのは大いにけっこうなんですが、中には作者や発言者に対して「あなたは◯◯賞をもらっていますが、賞を授与した組織にこのことを伝えたら問題になるのでは?」とか「あなたの通う大学へ抗議する方も出てくるのではないでしょうか」などと遠回しに脅すようなケースもいくつか見られました。そして荒らし行為と同様、こうした発言もまた実力や実績のある詩人による場合が多かったのです。そして彼らの批判の矛先は「差別的な表現を放置」するスタッフへも向けられました。そんな空気の中、文学極道にとって大きなダメージとなる最初の事件が起きたのです。

2018年の10月末。文学極道が参加する予定だった大分県の国民文化祭でのイベントに関して、県やイベントの主催団体に対して1人の人間から「抗議の電話」が入りました。それは文学極道の掲示板に投稿された某作品に絡めて「障害者差別を放置する文学極道をイベントに参加させるなら行動を起こす」という内容で、口調も含めて抗議と言うより脅迫に近いものでした。そして県や団体は「参加者の安全を考慮して」文学極道へ参加の辞退を求めたのです。こうして脅迫は大成功! 文学極道は団体としての参加を断念することになりました。

この問題が発生してからの様々な団体や人間の間で行われたやり取りの具体的内容に関しても、その必要がないのでここでは書きません。ただ、この事件によって詩人同士の私怨や薄汚い人間関係が色々と明らかになり、個人的にかなりの失望を味わうことになりましたね。素晴らしい詩を書き、詩集も出し、詩壇でそれなりの地位にいる者ですら、人間としてはゴミというケースが珍しくないことを思い知らされたわけです。そして各人、各団体の事なかれ主義により1人の人間の脅迫行為がまかり通ってしまったという衝撃はかなり大きかったです。当時、この結末の本当の恐ろしさに気付いた人が何人いたでしょうか。とにかく、この事件をきっかけにして文学極道は終わりへの道を歩み始めることになります。

【致命傷】

国民文化祭でのゴタゴタ以降、掲示板は再び荒れ始めました。文学極道としての正式参加はなくなったもののH代表らメインスタッフによるイベントなどが開催されたのですが、そこでも様々なトラブルが発生したのです。前述の理由からこれも具体的な内容に関しては書きませんが、またしても創作者たちによる私怨や嫉妬絡みのものでした。そして、これら一連のトラブルに関して某巨大掲示板やSNSに多くの書き込みがおこなわれました。さらにその内容を文学極道掲示板にコピペする荒らし行為も始まったのです。書き込みと削除のいたちごっこは、それから文学極道閉鎖まで延々と続くことになります。でも私は相変わらず夜型の生活だったので削除を含めた管理業務自体は苦になりませんでした。

一方で当時の文学極道はツイキャスにも力を入れており、そちらの方はかなり盛り上がっていました。視聴者からお題を募り、それに合わせて参加者が即興で詩を朗読するというスタイルがウケて、掲示板に参加していない人たちも集まってくるようになりました。もしも文学極道が継続していたら、このツイキャスを足がかりに新たな展開があったかも知れません。しかし、そんな未来を打ち砕くように文学極道にとって致命的な事件が起こります。

2019年の2月。H代表とプライベートでやり取りをしていた複数の女性投稿者から「長期に渡る彼の言動によって大きな精神的苦痛を受けた」という内容の告発がありました。きっかけは当事者の1人によるH代表の行為を告発するツイートのスクショを、別の詩人がSNSで晒したことです(ちなみにこの人物はH代表とは犬猿の中)。また、この件で運営内が混乱する中でスタッフの1人がH代表の辞任を働きかけるような動きを見せました。こうして針の穴から吹き出した水がダムを決壊させるように事態は急速に悪化していったのです。

この時から我々スタッフは文学極道に関する業務の他に、H代表の件の対応にも多くの時間と労力を割かれることになります。まずは事実関係の把握からということでH代表本人から事情を聞いたり、各スタッフが持っている情報(様々なスクショ、録音等を含む)のやり取りが行われました。その過程でさらに別の女性もH代表とトラブルになっていたことが判明しました。どう考えても「すべてが事実無根」とは言えない状況だったわけです。そして、この調査の過程で大分の一件の時と同様に詩人同士のいがみ合いやトラブル、不満、私怨、派閥問題などが次々と明らかになっていきました。そんなものは見たくなかったのですが、調べるうちにどんどん露出していったのです。前述の通りスタッフの1人は彼なりの「最適な方法」としてH代表の辞任を求めて動きましたが、そのやり方が私を含む他のスタッフたちの支持を得られず文学極道から去っていきました。内外で混乱が続く中、それでも残ったスタッフたちは文学極道の存続のために努力し続けます。

なお、当時からSNSや某巨大掲示板で囁かれていた「スタッフはH代表の話を鵜呑みにして全力で彼を守っている」という内容の話は事実ではありません。告発内容の大まかな事実関係に関しては証拠もあるし、H代表自身も大筋では間違いないと認めています。特に女性スタッフは「内容がすべて事実かどうかに関係なく、その言動自体が文学極道の責任者としてあまりにも軽率である」とH代表を叱責し、今後はスタッフへの相談なく個人的に投稿者(特に女性)とプライベートでやり取りをしないよう約束させました。その上で「人材としてのH代表は今の文学極道維持に欠かせない」という判断から、彼の代表辞任を避ける方向での解決を模索していたのです。

そんな中、私が最初に被害を訴えた人たちから事情を聞くことになりました。私が彼女たちとSNSで繋がっていたこともあり、何故かそういう流れになっていました。この聞き取り作業には、かなりの時間とエネルギーが必要でした。そこで得られた情報を元にスタッフによる話し合いをして、可能な限り客観的な事実を明らかにしようとしました。しかしそれは我々にとって予想以上に困難な仕事だったのです。当然のことですが両者の主張は肝腎な部分でかなりの食い違いがあり、さらに言えばスタッフは警察でも裁判官でもありません。H代表が犯罪性を否定している以上、もし彼に責任を取り辞任するよう求めたとしても逆にスタッフ側が訴えられる可能性すらありました。当時、一部の被害者からは訴訟云々の話も出ていましたが、我々としては「むしろ裁判で白黒をつけてほしい」とすら思っていました。そういう困難な状況の中で、我々は自分たちにできる範囲での結論を出して2月27日に公式コメントとして発表しました。


予想していたことではありますが、その内容に対してSNSや某巨大掲示板等で批判や疑問の声が上がりました。私自身も事情を聞いた人たちから非難され、SNSを含めて絶縁状態になりました。正直に言うと、私は彼女たちから事情を聞くことになった時点でそうなることを覚悟していました。様々な情報の内容、それぞれの立場、そして私自身の立ち位置等を考えればオチは見えていたのです。しかし覚悟はしていたものの、自分にとってそれなりに重要だと考えていた人たちから拒絶されたことはさすがに堪えました。タイミングが悪いことにその頃の私は両眼が失明の可能性がある状態になっていて、他にもいくつか健康上の問題を抱えていました。そのためトラブル処理を終えた頃から長年苦しんできた鬱病が一気に悪化して、ついには休職から人生で何度目かの自殺未遂をやらかしてしまいました。でも信じられないことにその間もスタッフ業務は続けていたんですよね。今にして思えばそれ自体が異常だったわけですが、当時は可能な限り平静を装ってネット上で活動していました。

その後、健康問題の方は家族の支えと手術や投薬により何とか快方へ向かい、数か月後には社会復帰することができました。しかし私はこの時点でスタッフ辞任のタイミングを考え始めていました(判断が遅い)。将来の文学極道を支えてくれるはずだった若い詩人たちの多くは、すでに新しく出来たB-REVIEWへ移住を開始していました。そして、もう文学極道に対する情熱もH代表に対する信頼も自身のHPもゼロに近い状態でした。それでも義務感からスタッフとしての仕事を続けてはいましたが、無理をして再び健康状態を悪化させてまで続けるつもりはありませんでした。しかしゴタゴタ続きの文学極道で新たにスタッフをやりたいという人間が出てくるはずもなく、私は何とか自分の心身のご機嫌をとり低空飛行を続けながらその年を終えました。

【匙は投げられた】

2020年1月。私は他のスタッフたちから、H代表が別の女性に対してこれまでと同様のことをやっていたと知らされます。彼らは私の知らないところで色々と話し合ったりして何とか状況を改善しようとしていたようです。正直、自分が蚊帳の外に置かれていたことに関してはあまり良い気分ではありませんでしたが、問題が恋愛絡みだったので男性であり後から運営に参加した私が介入するメリットはあまりないのでそういう対応自体は間違っていなかったと思います。それよりもH代表が「またやらかしていた」ことへの怒りと失望の方が大きかったですね。この後は、今まで以上に機械的な義務感だけで自分の役割を果たし続けました。

そして4月。H代表がある人物に対して、私たちスタッフを批判する発言をしていたことが明らかになりました。決定打です。これまでH代表と共に活動してきて、彼にはその場その場をやり過ごすためにそこにいない人間に責任をかぶせたり批判したりする傾向があることは分かっていました。そして、これも重要なのですが我々スタッフは「その行為自体に悪意はなく、彼自身でもどうしようもない」ということも知っていたのです。そうでなければ、私たちはもっと早い段階で彼を見限っていたでしょう。しかし、そういうH代表自身の問題を理解していても、ここまではっきりと知らされてしまうとさすがに限界でした。この時点ですでにH代表の中では「ここまで文学極道がゴタついている原因はスタッフにある」という認知の歪みも生じていました。こうなってしまうと、私だけでなく長期にわたりH代表を支え様々な形で文学極道に貢献してきたメインスタッフたちも「もはやこれまで」と考えたのです。そして私はともかく彼女たちの辞任は文学極道にとって致命的でした。この後、我々は個別にH代表へ辞任の意向を伝えました。その上で辞めるスタッフ全員とH代表の間で「今後の文学極道」について話し合いました。その過程でH代表は「健康上の問題など様々な理由で、自分自身も文学極道閉鎖を考えていた」と、文学極道を終わらせるつもりであることを伝えてきました。そういう発言は以前から何度かあったので我々も驚きませんでしたが、やはり「ついにこの時が来たか」という思いはありました。この話し合いの中ではH代表と我々の間で「スタッフ辞任が文学極道閉鎖の理由ではない」ということをはっきりと確認しました。これまでの経緯で、彼がそういう発言をどこかでしても不思議ではないと考えたからです。あまり意味のないことに思えますが、我々にとっては確認しておくこと自体が重要だったのです。なお、この時に某スタッフからH氏に対して「代表を辞めて新しい代表を選定するか新たなスタッフを雇ってはどうか」という提案がありましたが、彼はそれを断りました。これによって文学極道の閉鎖が正式に決定したのです。そんなわけで「文学極道閉鎖は色々な意味でH代表の個人的理由によるもの」だということだけは、はっきりと書いておきます。

それから後のことは、正直あまり覚えていません。当時の様々な記録を見て何とか思い出すレベルです。私を含めて実務をやっていた数名のスタッフは次々に辞任しました。私自身が投稿作品の選考と雑感を最後にやったのは4月分までだったはずです。後は12月31日の文学極道閉鎖まで、選考と雑感はH代表が1人でやっていたと思われます(雑感のコメントが複数ではなくなっているので)。もっとも、6月分以降は雑感も書かれなりましたが。

その後も私は1人の参加者として文学極道にアクセスを続けました。私たちスタッフが辞任する時にH代表は「私が最後まで責任を持って掲示板管理をします」と言いましたが、その約束は守られませんでした。荒らしの書き込みは基本的に放置され、辞任前に約束した規約の改定がされることもありませんでした。私は参加者として何度かクレームを入れましたが、最終的に彼がSNSで私をブロックした時点で「ああ、やはりそういうことか。そりゃそうだよね」という感じで匙を投げました。まあ彼の立場で考えれば、ほとんど1人で掲示板管理と月間選考をやっているわけですから当然の結末だとは思います。ですから同情はできないが怒る気にもなれませんでした。

こうして2020年12月31日。文学極道は終了しました。文学極道のSNSアカウントは当日になっても特にツイートすることもありませんでした。このアカウントが現在、どういう使われ方をしているかはTwitterで「@bungakugokudo」を検索して確認してみてください。私はもう見ていないので。

【さいごに】

ここまで書いた内容を読み返してみると「たかがこの程度の中身と長さの文章を書くのに何年かかってんだよ」という気持ちになって頭を抱えてしまいました。読んだ人も同じことを思ったことでしょう。でもまあ実際は何度も何度も何度も何度も何度も何度も書いては消し書いては変更し可能な限り客観的かつ穏便な内容にしようと努力し続けたです。その結果がこれというのも情けない話ではありますが、「文学極道が閉鎖されるまでの約2年半の間に何があったのか」ということを可能な限り関係者を再び傷つけないように書こうとすると、私の文章力ではこれが限界でした。自分の怒りや悲しみ全開で書くことが許されるなら文章量はこの10倍以上になるはずですが、それで幸せになる人間は私自身を含めて1人もいません。人生の残り時間について考える時期にきた私には、H代表を含め特定の人間に対する怒りの感情はもうありません(いや、この後でまた何か言われたら再び噴火するかも知れませんが)。だから、これがすべてです。また当然のことではありますが、私がここに書いたことだけがすべてでもなければ、唯一無二の真実というわけでもありません。私自身の主観で知らないうちに歪んで見えていたものがあるかも知れないし、私の把握していない事実も無数にあると思います。また、これも当然のことですが文学極道に関わったすべての人たちにそれぞれ言い分というものがあるでしょう。ここに書かれたことはあくまでも夢沢那智という一個人から見た文学極道最後の日々なのです。

文学極道に参加していた人たちの多くはH代表を含め、今も他のネット詩掲示板や詩誌やイベント等で活躍を続けています。正直、今となっては私が文学極道のスタッフになったことに意味があったとは思えませんが、文学極道というサイトが残したものはとても大きなものであるし、その影響は良い意味で継続し増殖し続けていくと信じています。


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