絶対的一方通行(凋叶棕)の考察 ー夢を追う世界の素晴らしさとおぞましさー

この曲は東方Projectの設定を生かした二次創作です。東方Projectとはこの世界のすぐ近くに、結界を隔てて、魔法や妖怪が妖精が住む世界である幻想郷があるという前提があった上に様々なキャラクターがいて、そのキャラクターを前提とした音楽や物語があります。

凋叶棕「」「」の考察で夢を追う世界を下敷きにしているのではないかと述べました。そしてこの曲も夢を追う世界を下敷きにしているのではないかと以前から考えています。そもそも創作で飯を食うという事自体夢を追って現にすることかもしれません。それでいて始めは非常に弱く、騙そうという人間も多いでしょう。うまく行けばみたこともない素晴らしい世界ですが、でも正直ろくな道ではない。

幻想郷は恐ろしい世界であり、来てはならないというのを、幻想郷は幻想がある夢を追う世界とみなしてではないかと。

個人的に近年は起業だイノベーションだと言って「夢を追う道にいかに人を叩き込むか」という話が盛んです。正直勢いばかりで夢見がちだけど権謀術数ができるという妖怪ばかりでろくな道じゃなけどなあと思いながら眺めてますが。

それのみならず、歌とかイラストとかゲームのような夢のある世界というのは、夢があるが弱い立場だというのは買いたたきやすい立場だからと理不尽なことを強いようとしたりすることも多い。その世界を暗喩してるんじゃないかと。

背景概説

東方Projectは自らの作品の設定や音楽をもとに一定のガイドラインのもと自由に二次創作することを推奨しています。

登場人物は八雲紫というキャラクターです。原作では幻想郷の賢人として世界を管理する役割を担う人物であります。また、物事の境界と「スキマ」を操作するという特殊能力を持ちます。そして、別の科学世界であり、近未来に生きている人間であるマエルベリーハーンが何らかの事情で幻想郷に紛れ込んで妖怪、かつ賢人となったという話もあります。そのように現実を生きている人間が何らかの事情で異世界に旅立ち、そして権力と責任を追う立場の人間になったという設定でお聞きください。

歌詞分析

子供の頃に
少し無茶をして
通りがかった道すがら
始まったちいさな冒険を
覚えているかしらね

小さな冒険を始めたらしいです。『ロストドリームジェネレーションズ』、『スターゲイザー』でも取り上げているように、どんな大きな夢も最初は「不安とほんの少しの幻想」(ロストドリームジェネレーションズ)あるいは、「子供騙しの、夢だ」(スターゲイザー)のような物事から始まっています。それが絶対的一方通行では「子供の頃に少し無茶をして始まったちいさな冒険」としています。

意気揚々の出だしも
段々と勢いを失い
しまいには迷子になって
立ち尽くしたこの景色を
覚えているかしらね
さぞかし心細かったでしょうね

最初は成功を疑わないですが、次第にどういう方向に進めばよいのかわからなくなる。迷子になる。心細くなる。覚えているかしらね?と聞いているのは、八雲紫が昔経験したことだから。夢を追う人間の多くが通る道だから。

綻びを見る度に
心の何処かで思い出しなさい
どうしようもない程
世界は理不尽に塗れている事を

綻びというのは、なにかこのようなものがあればよいのではないかという夢の始まりでもある。だけど、夢を追う人間というのは非常に弱い。理不尽により言うことを聞かせようという人間も多い。理不尽にまみれている。

見るな。来るな。
知るな。渡るな。
それ以上こちらに歩みを進めるな。

だから、こんな「夢を追う世界」見たり知って関心を持とうとしたり、あげくの果てに来たり渡るようなことをしてはならない。

聞くな。寄るな。
理解るな。探るな。
手に入れる価値のあるものなどどこにある。

「夢を追う世界」について聞こうとしたり、理解しようとしてはならない。挙句の果てに寄ったり探ったりしてはならない。

「夢を追う世界」に言ったところで、理不尽にまみれて夢が果たせない可能性が高い。いや、そもそもそうやって夢を叶えたところでそれが価値があるものなのか?

変わりきってからしか気付けはしないのだ
後戻りなど出来ない事に
夜が覆い隠す
非常識のその裏側を覗き見てはいけない

いざ「夢を追う世界」に進み、責任を取る立場になれば後戻りはできない。

だけど、そんな世界は隠されている。せいぜい創作としてぼやかして鬼や妖怪の仕業として匂わされるぐらいか。非常識な世界。近づいてはならない。

ありのままの世界を
今貴女が立たされているところの何たるかを察せよ

『スターゲイザー』で「もし、自分を新たに描くなら、籠の中の鳥もいいのかも知れない。」とあります。ありのままの世界とか籠の中の鳥とは、車輪に乗ったルートに乗ってのサラリーマンでしょう。法律や組織に守られています。だけど、「夢を追う世界」はそんな保護なんかはない。立たされているところの何たるかは、世の中がうまくいくために作られた箱庭。だけど「夢を追う世界」に行くということはその世界から出るということ。

そうして、大人しく、何も知らずに、
ただ夜に怯えていなさい…

何かしらないが怖い世界だと。そのぐらいのほうが正解だろうと。

どうしようもない程
世界は幻想に塗れているのだと

一方でこの世界には新しく作りえる幻想で溢れている。『ロストドリームジェネレーションズ』や『スターゲイザー』で追いかけ始めた幻想。

当たり前の世界が崩れ去る
忘れられた世界が顕れる
その全てを何よりも
美しいと思ってしまったから
…囚われたのだ。

新しく作り得る幻想では当たり前が崩れて、今までなかったものが現れる。美しい。だけど、それに惹かれてしまえば囚われる。理不尽にまみれた世界にもかかわらず。

見るな。来るな。
知るな。渡るな。
あまりにも絶対的な“とおりゃんせ”に背を向けよ

理不尽にまみれた世界だから「夢を追う世界」に行かないほうがよい。本能は恐れる。それがとおりゃんせ。

聞くな。寄るな。
理解るな。探るな。
行きはよくても帰りはもうこちらがわ。

進むことはできる。だけど、次第に責任やしがらみができて「夢を追う世界」の住人になる。帰ることが許されなくなってくる。

どうか赦して欲しいと
置き去りにした貴女の姿に今乞うけれど
非可逆世紀への一方通行
通れば取り返しはつかない
…私の様に。

「夢を追う世界」へは一方通行。進めば戻ることはなかなかできない。まさに、幻想郷の賢者となり責任がある立場になった私(八雲紫)のように

戻ろうとすることさえ
出来ないのだと気付いた時には
全てが遅すぎた
もはや なにもかも なにもかも ああ!

半分はこんな道はろくでもない道だから歩むべきではないという歩む人であるマエルベリーハーンへの言葉

そうしてもう半分は歩んでしまって、それなりに面白いところはあるけどろくな道ではないと痛感している自分自身の思いの発露。

考察

八雲紫がもともと幻想郷外の住人であるかもしれないという前提を踏まえれば、八雲紫がこの世界に来るな!という警告には見えます。ですが、幻想郷はどのような世界か?ということを踏まえると、現実の夢を追う世界の暗喩ではないかと考えます。

とくに「徒」「屠」でも描かれていました。徒でも夢の始まりはちいさな冒険に近い言葉から始まっています。

引き返せなくなるというところからもそう考えます。屠では「それいけ針妙丸」から始まる話で「げんきになったときのうた」などでフルボッコにされたこともありますからね。

夢を追う世界は素晴らしいが恐ろしい。何も知らずに遠くで眺めて怯えているぐらいがいいのかもしれません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?