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茨歌仙最終話の、涙ともに内なる牛と邪気に気付いた華扇の考察

茨木華扇の最終話の涙の考察。過去の回想である最終話は華扇は右腕を切り落とされた場面から始まります。敵(渡辺綱)と対峙しているのでしょうですけども、怒りながら泣いています。おそらくは、渡辺綱はただの敵ではありません。元カレなど華扇にとって大事な人だったけども振られたのでしょう。
渡辺綱と対峙するまでは「奸佞邪智の鬼=心がひねくれて、ずるがしこく立ち回る人」でした。「男をひねくれて見て、ずる賢く男を誑し込み思いのままに操る能力が有った」人ではないかと。ですけども、華扇の奸佞邪智は渡辺綱にとってお見通しで渡辺綱には通じませんでした。
ずる賢い立ち回りが通じないと、自分の邪気に気付き、邪気を切り落とされ、穏やかに生きる仙人になりました。だから、渡辺綱に右腕を切り落とされる=振られる前(鬼華扇)は「奸佞邪智の鬼」であり、渡辺綱に右腕を切り落とされる=振られた後(仙人華扇)は「片腕有角の仙人」となったのだと思います。
以下、茨歌仙から、この考察を裏付ける場面を拾っていきます。
  
1話で「水消えては波旧苔の髪を洗ふ、か、あの頃の私は」と華扇がつぶやいています。鳥山石燕 『百鬼夜行拾遺,雨』にて良香が羅生門の下で「気霽れては風新柳の髪を梳る」と歌を詠むに対して、茨木童子が返した言葉です。
https://dic.pixiv.net/a/%E9%83%BD%E8%89%AF%E9%A6%99
この句は何か心にあったわだかまりの氷が解け・あるいは水が消え、気が晴れて、風が髪を流し、波がひげを洗う表現です。心が整理されて、穏やかに風が髪をなびくさまを表しているのではないかとおもいます。逆に、あの頃=鬼華扇時代の私はそうではありませんでした。わだかまりで心がいっぱいだったのです。

1話より

第3話で華扇は瞑想をしている描写があります。また、仏教禅宗の十牛図の人牛倶忘があります。十牛図は荒ぶる自分の内なる感情に気付き抑える様子について牛を見つけて抑えるさまに例えた図です。

3話より
3話より


尋牛(牛を探す)見跡(牛の足あとを見つける)見牛(牛を見つける)得牛(牛をつかまえる)牧牛(牛を飼いならす)騎牛帰家(牛に乗って家に帰る)忘牛存人(牛のことを忘れる)人牛倶忘(自分のことも忘れる)返本還源(すべて元通りとなる)入鄽垂手(町に出て生活する)と歩みます。
茨歌仙の掛け軸は人牛倶忘にまで至っています。そして、瞑想は頭を休め、内なる感情に気付き抑えるためのツールです。また、荒ぶる内なる感情=十牛図の牛=自分の邪気である切り落とされた右手だということです。しかし、しばしば内なる感情を再び忘れます。
 
忘れれば再び牛=右手を探し始めます。忘れてしまった右手を再び探すストーリーが茨歌仙です。内なる感情=牛=右手はしばしば見失います。しかし、再び探して内なる感情を見つめ直します。そして、荒ぶる内なる感情=切り落とされた右手を見て、天道に従い対極の道を歩んでいくという話です。

最終話より
最終話より

第1話で華扇は口うるさくて余計なお世話をするという描写があります。鬼華扇時代は自分しか見えず周りがこうあってほしいという欲望ばかり強かった人だったのでしょう。だけど、華扇は人と共に生きないとならないと気付いた。昔のこうあってほしいという欲望の名残として口うるささが残っています。

1話より

少し茨歌仙を超えた考察をします。
奸佞邪智の鬼だと気づいた渡辺綱は、華扇の邪気の右腕を切り落としました。なぜ完全に去っていったのでしょうか?華扇も反省しているように見せかけるぐらいはしたでしょう。だけども、渡辺綱は許しても無意味だと思ったのかもしれません。
仮に華扇を許したとしても、華扇が奸佞邪智ゆえに渡辺綱を折ることができたと思うだけではないかと考えました。ここで完全に許さないことが、華扇が正道を歩む助けになると思ったのでしょう。
依存症では、底付き経験を経て、現実を受け入れようと思い直すそうです。

第18話で「私は人に近づきたかった」の記述があります。奸佞邪智を使えば自分が満たされると思ったけど違うと気付いたと考えています。逆に鬼華扇時代は人に近づいていませんでした。自分しか見えていなかったのです。人間は一人で生まれて、想像と経験と知識で自分と他人を知り、近づいていけます。

18話より

内なる感情に気付いて抑えたから、奸佞邪智の鬼から、片腕有角の仙人になれました。かつて自分しか見えずに男をひねくれてみた女の子が、渡辺綱と会い、邪気を切りはらわれました。自分の内なる感情に向き合い、瞑想で抑えながら、正道を歩み、成長した後の後日談が茨歌仙ではないかと思います。


 
 
 
 
 

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