赤とんぼ

赤とんぼとミックスサンドイッチ

私は横浜育ちだが、幼稚園に通い始める年まで名古屋近郊の団地に住んでいた。唯一覚えている名古屋時代の外食が、名鉄グランドホテルのスカイラウンジで食べたミックスサンドイッチだ。

そのサンドイッチを最後に食べてから、すでに40年以上経っている。もっと工夫を凝らしたサンドイッチをいくつも食べてきたけれど、スカイラウンジのサンドイッチが私の中ではいつも一番だ。

私の母は神戸の裕福な家で育った。祖父母はまさか自分の娘が団地暮らしになるとは思わなかったはずだ。母は、サラリーマンの父と結婚して父の赴任先の名古屋に住んだのだった。だから、祖父母はいつも母のことを心配していたのだと思う。苦労していないか、不自由していないか、と。当時祖父は新幹線でしょっちゅう東京へ出張へ行っていた。その帰りに時々名古屋で下車して、私の母とランチするのが決まってスカイラウンジだったのだ。

祖父に会いに行く日は、私はお出かけ用のワンピースを着せてもらった。母もお洒落していて、香水をつけたきれいな母と出かけるのが嬉しかった。そして、毎回食べるのはミックスサンドイッチ。ほかにもいろいろメニューがあったはずなのに、いつも私と兄のメニューはミックスサンドイッチとミックスジュースだった。小さく四角く切ったサンドイッチにはハム、トマト、キュウリなどがはさんである。付け合わせにはパセリとポテトチップス。ミックスジュースは、淡いオレンジ色のフレッシュジュース。

母や祖父が何を食べていたのかは、全く覚えていない。母が私と違うものを食べていたら、食いしん坊な私のことだから母のものを欲しがって困らせそうな気がする。でも、いつもそのお決まりのメニューに私は満足していて、ポテトチップスのさいごのひとかけらまできれいに食べた。少なくとも記憶の中では。

スカイラウンジは18階にあって景色が良かったから、祖父と母が話している間、兄と私は窓に張り付いて景色を見ていた。

あるとき、窓から赤とんぼの群れが見えた。ビルの窓ガラスに映った真っ青な空を背景に、たくさんの赤とんぼが飛んでいる。私たちの足もとより下に赤とんぼが見えるのだ。

母も祖父も兄もしばらくその赤とんぼを眺めていた。その時間は、何とも言えず、とても満ち足りた時間だった。

知り合いなど誰もいない土地で年子の2人を育てるのは、母にとっては大変だったと思う。父は仕事で海外出張が多く、不在がちだった。そんな生活の中で、祖父と会う時間は大切な時間だったに違いない。その時だけは神戸の娘に戻ることができるのだ。そして祖父にとっても、離れて暮らす娘と会える宝物のような時間だっただろう。母と祖父の嬉しそうな様子が私にも伝わって、私にとって特別なサンドイッチになったのだと思う。

サンドイッチを食べる時はいつも、赤とんぼと母と祖父の優しい顔と白いふわふわのサンドイッチを思い出す。

今ではあの日の祖父よりも、母の年齢の方がだいぶ上になってしまった。横浜へ引っ越して以来、一度も行ったことがないそのラウンジ。今回noteを書くために調べたら、リニューアルはしているけれど、今もあるようだ。

もう一度、窓際に座ってあのサンドイッチを食べてみたいという気持ちと、思い出のまま胸にしまっておいた方がいいという気持ちが振り子のように行ったり来たりしている。



☆このnoteは、ごはんさんの「ごちそうさまグランプリ」に参加しています。


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