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糞尿下痢便所ゲロ日記「フィリピン航空の湿りクッキー」と「吐瀉幼女」


    はじめに
 

    フィリピン人の母と日本人の父の間に生まれた僕は、二歳から小学校五年生くらいまでの間、二〜三年に一度のペースでフィリピンへ一家で里帰りしていた。数年に一度のイベントに幼少期の僕はワクワクドキドキしたものだ。しかし中学校へ進学するとともに、僕は漫画とゲームと自慰に勤しむようになり、ワクワクの好奇心はエロサイトへと移行した。その結果フィリピンへ一家で里帰りする習慣がなくなった。母はひとり(たまに姉と)で年に一回里帰りし、姉達はフィリピンで英語留学。そして日本に住んでいた父は仕事のためにフィリピンで生活するようになる。
 高校を卒業してから数ヶ月後、大学生活もなんとなく落ち着いて来た頃に留学していた姉が帰国。日がなダラダラする僕をみるなり「久しぶりに親戚と父に会いにフィリピンへ行ったみたら」と言った。忘れかけていた自分のルーツがフィリピンに存在するということを思い出すとともに、幼少期のフィリピン里帰りの楽しい日々が走馬灯のように蘇る。
 

フィリピンか、久々に行ってみるか。

 十数年ぶりとなる海外だった。久しぶりのフィリピンはむちゃくちゃ面白くて刺激的で、初めて一人で乗った飛行機に感動したし、幼少期の時よりも楽しく過ごせた。
 それからというものの、フィリピンで父が病気で倒れてから亡くなるまでの間、二ヶ月に一回のペースでフィリピンに行くようになった。そして旅行の面白さを知った。今では年に三〜四回海外へ遊びに行く。今までで訪れた国は十一カ国。滞在期間は一週間〜三週間ほど。バックパッカーからしたら鼻で笑われるが、僕の収入だとこれが限界だった。それでも楽しかったし、その辺の頭パーな、一ヶ月とか半年とか旅するバックパッカーよりも濃い旅行の数々だった。

 僕は身体をよく壊す。

 運動が大好きで、中学の頃は三年間バスケ部だった。高校へ上がると、毎日六キロの散歩と自宅〜学校間片道十キロをチャリで往復。高校卒業後はサバゲーやスキー、スノーボードなんかにハマったりして、人一倍体力はあった。にも関わらず、しょっちゅう風邪をひくし、尻に巨大なオデキができたりする。水虫が悪化してまともに歩けなくなることもあった。幸いにも大病を患ったことは今までで一度もない。数年前に世間で豚インフルエンザが流行していた頃、通っていた中学は続々と学級閉鎖。自分のクラスの約半数がインフルエンザで倒れる中、僕はシンプルな風邪で発熱して寝込んだりしていた。運がいいんだか悪いんだかわからない。
 日本にいてもこの有様だ。海外へ出るとどうなるか。
 一度の海外旅行での滞在はたったの一週間〜三週間。その間に毎度と言っていいほど、様々な病気にかかってしまう。高熱、下痢、赤痢、鼻水。ほとんどは事前に防げるような病気(水や食事に気をつける事)ばかりだが、僕は学ばない。何度も同じ目に遭う。なぜか。旅の楽しさが、それを忘れさせるからだ。
 「糞尿下痢便所ゲロ日記」はそんな自己の反省と文章力の向上のために、いままで身体に起きた異変や病気などをつらつらと書き綴っていく。海外と下痢を中心に。

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「フィリピン航空の湿りクッキー」

 さっそく下痢だけに焦点を絞り、記憶を辿っていくと、最も古い記憶は今からおよそ十八年前の二〇〇二年、新年が明けて間もない頃だった。
 大晦日と正月を一家全員で母の実家があるフィリピン・ブラカン州で過ごした。(これが一家全員で行く最後のフィリピン里帰りだった)フィリピンの年越しは本当にすごいったらありゃしない。至る所で花火が炸裂。グルグル渦巻き状に丸められた巨大な爆竹が市街戦の如く音を鳴らす。爆竹に混じって銃声もこだまする。大人たちはもうとにかくどんちゃん騒ぎ。巨大な豚の丸焼きをつついたり、移動式レンタルカラオケ(通称・ビデオケ)でガアガアわめき散らす。都市部ではテンションの上がりすぎた若者が、どこからか持ってきた手榴弾を爆破させて大怪我。死人もしょっちゅう出る。
 

    さて、帰国である。楽しかった日々ももう終わり、冬休みも残りわずか。わざわざ日本から宿題を持ってきたが、一ページも手をつけなかった。隠すようにしてリュックの奥底にしまい込んだ。
 マニラ発、東京行きのフィリピン航空の機体はマニラのごちゃごちゃした街並みを目下にグングン上昇。程なくしてシートベルト着用サインが消え、CAたちが機内食の準備に取り掛かり始めた。
 

    フィリピン航空はアジアで最も古いと言われる航空会社である。一九四一年に設立。一九四六年にアジア初の太平洋横断国際便を就航。その翌年にはスペイン・マドリード行きを就航し、これもまたアジアの航空会社で初のヨーロッパ乗り入れとなった。そんな誇り高きフィリピン航空は機内食も超絶品である。中でも僕はチキンアドボ(骨つき鶏肉をニンニク・醤油・酢で煮込んだフィリピン料理)がお気に入りだ。


 機内食のいい香りが辺りに立ち込める。前方の座席に目をやると、配られた機内食を美味しそうに食べるフィリピン人がちらつく。「自分のはまだかなあ」そしていよいよCAが手押し台車を押して目の前にやってきた。
「チキンオアビーフそれともポーク?」とか言ったとか言わなかったとか。
 アルミホイルに包まれた機内食が目の前に置かれた。包みをわしゃわしゃと破くと、フィリピン料理が香ばしい香りとともに湯気をたてて現れた。その料理が何だったか、そんな事は忘れてしまったが、とても美味しかったと記憶している。さて、メインを食べ終え、腹一杯満足。続いてお待ちかねのデザートは、小皿に入ったカピカピに乾燥したフルーツとトレーの上に無造作に置かれたシンプルなバタークッキー一枚だった。大の甘党の僕はフルーツを無視してクッキーに手を伸ばす。一口かじると、口いっぱいにミルクとバターが香りが広がり、程よい甘さに、滑らかな口どけ・・・と思いきやナンジャコリャ!砂糖の塊を丸かじりしたかのようなゴテゴテの甘みと、胸焼けするほど濃いバターの味。クッキーといえば程よくしっとりした生地が売りなのはご承知の通り。しかしこのクッキー、しっとりどころか水に濡れて湿っている。おそらく飛行機が揺れた拍子にどこかの水が溢れて、クッキーにかかったのだろうか。二口〜三口したところで食べるのをやめた。まずい。マズすぎるこのクッキー!
 機体は成田国際空港へ到着。無事に着いたことを祝いたいところだが、食べた湿りクッキーの味と胸焼けがまだ残っているし、飛行機の揺れに酔ったおかげで、吐きそうなほど気持ちが悪い。というか吐いた気がする。
 家に着いた。気持ち悪い。お腹が痛い。トイレに駆け込む。
 『ボシャボシャシャシャーーーーしゃーぴー!?』
 なんじゃこりゃ! 肛門から聞いたこともない音が響いた。
 『ブピピピ!?ドッジョババババババババッバッア!』
 肛門から出るもの=うんこ(固形)であり、ちんぽから出る物=小便(液体)なのだ。いま自分のケツから出ているものは一体なんだ?肛門から液体が出ているってなんなんだ!
 どう考えてもそれは下痢だった。しかし肛門から溢れ出るほぼ水に近い下痢に小学一年生の幼き僕(可愛い)はパニックに陥った。
 『ショショショショショショショーー!!!?』
 肛門から出てくる下痢はもはやただの水だった。飲んだものが全て肛門から出てきた。少し良くなったかな、と思ってトイレに行けば『ショバジョバジョバショアーーー!?』である。
 原因はなんだろうか。フィリピンで口にしたものが頭を駆け巡る。豚の丸焼き…焼きそば…鶏肉スープ…マンゴー…ランブータン…タホ…バロット…湿りクッキー…あげるときりがない。ん?湿りクッキー?
 『ジョボッジョボジョッジョボボジョショァァァァアアア!?』
 『ゲロゲロゲロゲロ』
 湿りクッキーの甘さと食感を思い出すと気持ち悪くなり、ゲロと下痢が止まらなくなった。
 
 この症状は一週間近く続いたが、三学期が始まる前には完治していた。どう治したのかは覚えていない。病院へ行ったのか自然治癒したのか、忘れた。しかし、半年ぐらい甘いお菓子が食べられなくなった。甘い匂いを嗅ぐだけで、あのフィリピン航空の湿りクッキーが脳に浮かび、気持ち悪くなった。
 今思えば腹を下した原因は湿りクッキーではないと思う。不衛生な環境で作られた料理だとか水にあたったのだ。しかし当時の僕は、あの気持ちの悪い湿ったクッキーが原因だと疑わなかった。だってあんなに不味いクッキー初めてだったんだもん。二五歳になった今でもあのクッキーを思い出すと吐き気を催す。そしてケツが噴水のようになるほどの下痢は後にも先にもこれしかない。


 
 「吐瀉幼女」
 

 フィリピン航空といえばもう一つエピソードがある。それは二〇一六年の冬だった。バイト仲間の川村君とフィリピン旅行を楽しんだ帰りの出来事。
 ニノイ・アキノ国際空港第二ターミナルから飛び立ったフィリピン航空の機体は順調に成田国際空港へと向かっている。今回の旅も楽しかったな。隣に座っている川村君と旅の思い出話に花を咲かせていた。メイドのオカマに頭を叩かれたり、タクシー運転手が日本語を理解できないことをいいことに「うんこチンコまんこ」騒いでいたら運転手が片言の日本語で話しかけてきて気まずい雰囲気になったり、小便でトイレが詰まったり…話は尽きない。たった一週間の滞在ではあったが非常に濃い毎日を過ごした。
 機内食も食べ終わりホッと一息ついたところ、機体が大きく揺れ始めた。すぐさま安全ベルト着用サインが点灯する。乱気流だ!機体は二〜三時間揺れ続けた。
 川村君は初めて経験する揺れにぐったりしていた。
 「ゆうきくん…おれ、ゲボ吐きそうっす!」
 「大丈夫かい?深呼吸してれば酔いが治るよ」
僕は飛行機慣れしていることをアピールしつつ先輩風吹かした。まあちょっと自分も酔って気持ち悪くなっていたのだけれども。
 そしてどうにかこうにか無事に成田に到着。機体はターミナルに向けて滑走路をゆっくりと走る。安全ベルト着用サインがまだ点灯している。点灯している間は安全上のため席を立つことができないが、フィリピン人そんなこと御構い無しに我先に荷物を頭上の収納スペースから取り出していた。おお、なんと騒がしい。
 窓の外を眺める。澄んだ空気が寒さを想像させる。
 「寒そうっすね」
 「暖かいフィリピンが恋しいね」
 明日からまたバイトだ。現実が一気に蘇ってくる。ハァ嫌だな。

 『ッバプッシュゥャッ!』
 
 どこからか炭酸飲料の蓋を開けた時のような音が聴こえた。ハハーン、コーラかスプライトを飲もうとしてキャップをひねったら吹き出したんだな。あの時の飛行機の揺れのせいで中身がシェイクされたんだな。かわいそうに。程なくしてスプライトの柑橘系の香りが漂ってきて…って酸っパぁア!?クッサア!?
 通路側に座る僕の横を、幼女が口を押さえながら通り過ぎた。その後を母親と思しき女性が付いていく。
 ゲロだ。幼女がゲロを吐いたぞ!
 さきほどの音は炭酸飲料ではなく吐瀉音だったのだ。
 「ゆうきくん、肩に」
 川村君は爆笑しながら僕の肩を指す。肩にどっペリと幼女のゲロが付着していた。
 「クッサア!ヴォエェッ!」
 「良かったっすね、幼女にゲロ吐かれて」
 僕はロリコンじゃないし、ゲロも好きじゃない!
 
 結局ゲロを付着したまま家まで帰りましたとさ。 

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