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レインボーパレードへの違和感-レインボーフェスタ和歌山2022に参加して-

みなさん、こんにちは。
今回はレインボーパレードで感じた違和感について考えたいと思います。

3/27(日)にわたしは初めてレインボーパレードというものに参加しました。セクシャルマイノリティの人たちなどが行うパレードです。わたしが参加したのは、だいたい100人くらいのパレードで、1時間ほど歩きました。

多くの人がカラフルな服装でレインボーフラッグを振ったり、沿道の人に手を振ったり、「HAPPY PRIDE!」と楽しげに言っていました。先頭は風船で着飾ったトラックが音楽を流しながらゆっくり走っています。終始、笑い声の絶えないパレードでした。

そんなレインボーパレードでわたしが感じたことを素直に書いていきたいと思います。


全然、馴染めない

まずわたしが感じたのは、楽しそうにはしゃいでいる人たちに全然、馴染めないという感覚でした。「HAPPY PRIDE!」という言葉も不思議に感じ、わたしは使いませんでした。

周りはカラフルな中、パートナーとわたしは真っ黒。パレードの最中、わたしはパートナーに「なんか違う」「我々は粛々と歩こう」と言いました。パートナーは「いいよ」と答えてくれて、手を振ることも、笑い声を出すこともせず、ただ歩きました。

パレードが始まる前は、楽しみにしている気持ちがありました。しかし、実際に歩いてみると「なにか違う」という違和感を持ちました。フェス自体は楽しめたのですが、パレードはなにか違ったのです。

なぜ、わたしは違和感を持ったのか。考える必要があると感じました。

楽しそうな人ばかり

最初にわたしが思ったのは、一緒に歩いている人たちがはしゃいでいて、楽しそうな人たちばかりだということです。
「HAPPY PRIDE!」と大きな声で言っては、沿道の人たちが返してくれる反応に笑い声が溢れてくる。写真を撮ってくれる人に向かって笑顔で写りにいく。沿道の人に向かって「おにいさん、かっこいいって!」という大きな声も聞こえてきて、びっくりしました。「おにいさん」って…。

マイノリティの人が楽しそうに生きている姿を見せることに意味がないとは思いません。それを見てエンパワーメントされる当事者もたくさんいるでしょうし、未来が少しでも明るく見える可能性もあります。

ただ、それだけでいいのかな?というのがわたしの感じたことです。わたしたちは幸せに生きていけると言う人がいるだけでいいのか。「わたしたちはハッピーだ!」という姿だけでは、他のことを隠してしまうのではないか。そんな感覚がありました。

楽しそうな人がいるのは当然よくて、しかし、それが隠してしまうことについて何か違和感を持ったのだと思います。

パレード中に考えていたこと

マイノリティが日々、直面する現実

パレードの隊列は車道を主に歩きます。わたしたちの多くはレインボーフラッグというセクシャルマイノリティであることがわかる目印を掲げていました。そういった状況の中でわたしが考えたことは、

「悪意のある人に『どうぞ狙ってください』と言っているようなものだ」

でした。車で隊列に突っ込めば、たくさんの人を攻撃できます。殺すことも容易でしょうし、悪意を持っている人の中にはそういったことができる人もいるかもしれません。
実際に生きている中でマイノリティの人が攻撃されることは珍しいことではありません。「殺すなんて極端だ」と思われるかもしれませんが、マイノリティであることを理由に自殺する人もいるのです。それは毎日、どこかで起こっていると言ってもいいのではないでしょうか。

楽しそうに歩くだけでは、そういったことは考えられないと思います。わたしは、わたしたちが生きている中で直面する問題やマイノリティだから攻撃されるという現実にも目を向けてほしいと思いました。

わたしたちも多様だ

パレードを歩いていて、もうひとつ考えていたのは、多様性の表現ってできないのだろうか?ということでした。
ほとんどの人がレインボーフラッグを持っていて、カラフルな恰好をしている。そうじゃない人もいるのだけれど、わたしが見た周りの人はレインボーな人が多かったです。

その中で真っ黒なふたり。わたしとパートナーは周囲から浮いても仕方ないくらいだったのではないかと思います。しかし、なぜ、他の人はレインボーばっかりなんだろう?と思いつつ歩いていました。

「いや、レインボーフラッグがシンボルなのだから掲げるだろう」と思われるかもしれませんが、なにか「みんな同じであること」に違和感を持ったのです。一体感を得られなくて、馴染めなくて、「わたしたち」になれない自分。それでもパレードを歩く自分。

歩きながら、至った結論は「『わたしたちは多様である』ということを視覚的に表現できているのではないか」ということでした。セクシャルマイノリティと言ってもいろんな人がいる。わたしみたいにレインボーフラッグが好きじゃない人もいるし、障害者の人も、セックスワーカーも、日本人じゃない人も、手話を使う人も、目が見えない人もいる。いろんな人がいます。そういうことが少しでも可視化できていたらいいなと考えました。

楽しい『だけ』のパレード

前項で書いた違和感は、楽しい「だけ」のパレードがわたしたちの中の多様性、わたしたちが直面している問題を覆い隠してしまうということだと考えます。
楽しいパレードではなく、楽しい「だけ」のパレードです。楽しさもあるパレードだったら、今回のような違和感は持たなかったと思います。

もっと言うなら、楽しい「だけ」のパレードはマジョリティから見ればお行儀の良い、いい子な人たちの集まりです。「わたしたちはハッピーだ」「わたしたちはここにいる」と表現し、沿道の人たちと手を振り合う。それでマジョリティの人に何を伝えられるのだろう?と思うのです。「ハッピーならそれでいいじゃないか」「楽しそうだなぁ」と思われるだけではないでしょうか?

もちろん、マジョリティの人たちと変わらず、幸せになれるというメッセージはあってもおかしくないし、それだけを目指したパレードを明示的にするという選択もあり得ます。

ただ「楽しく歩くことだけがパレードなのか?」と思うのです。マジョリティへの怒りや虚しさ、日々、直面する辛い現実をないことのように振る舞うのは、マジョリティにとって都合が良すぎるのではないでしょうか。

わたしにとってのパレード

マイノリティだからと言って、マジョリティにとって都合の良い、お行儀の良い人である必要はないと思いました。
車いすだから階段しかない駅は使えないとか、耳が聞こえない人は筆談で話せるという思い込みとか、セクシャルマイノリティの人は黙ってカミングアウトするなとか。そんなことをなぜ押し付けられなければならないのか。マジョリティだから、押し付けることができる力があるから、押し付けられているという現実があるのです。

だからこそ、お行儀よくしている場合ではないと思います。もっと怒っていい、もっとネガティヴな気持ちを表出させていい、マジョリティに煙たがられる人であってもいい。
わたしにとってパレードとは、そんな人もいる場所です。マジョリティへ訴えたり、伝えたりすることができるひとつの場でもあります。

そして、マイノリティの内部にも訴えられる場所だと思います。
「HAPPY PRIDE!」という人たちは、わたしのような人も含めて「わたしたち」と言えるだろうか?と。

真っ黒で粛々と歩く

初めてパレードに参加して思ったことを書いてきました。いろいろと思うことはあれど、これからもパレードには参加したいと思っています。
ただし、わたしは真っ黒な恰好で粛々と歩きたいと思います。楽しい「だけ」のパレードに喧嘩を売っているし、マジョリティにもそうだと考えますが、辞める気はありません。

ここまで読んできてくれた人ならわかると思いますが、わたしはマイノリティの中にある多様性や、日々、マイノリティが直面する苦痛を訴えたいと思うからです。

セクマイはマジョリティから見て、異様なものかもしれません。そして、わたしはそんなセクマイの中で更に異様でい続けたいと思います。マジョリティにも、セクマイにも媚びない。わたしが訴えたいことを訴えていきたいです。

追記 パレードの原点

この項目は後日、加筆したものです。

パレードの歴史として、原点であるストーンウォールの反乱について書いておきたいと思います。わたしが以前、書いた記事から引用します。

1969年6月27日、ニューヨークにある「ストーンウォール・イン」というゲイバー(実際はセクマイの人たちが集まっていた)に警察がやってきます。理由は酒類販売の許可を得ずに営業している、その証拠を抑えるためでした。当時はゲイバーでの酒類販売は「性的倒錯者」への販売であるということから許可が出なかったのです。また、この界隈の多くのゲイバーがマフィアによって経営されていたため、警察がやってくるのも初めてではありませんでした。
深夜0時に「ストーンウォール・イン」にいた客は警察によって外に出されてしまいます。いつもならそのまま散り散りになっていくのですが、この日は逃げることなく店の外にたむろしていました。
深夜2時には、群衆となって、道(クリストファーストリート)にあふれかえり、逮捕者が出るのを見るとはやし立てたり、「勝利を我らに」を歌いだしたりする人が出てきました。
その後、警察がトランスの人を襲撃したことをきっかけに群衆は攻撃的になり、バーに向かって石などを投げ始めました。群衆はどんどん大きくなっていき、警察は群衆の一掃を始めます。群衆と警察の攻防は長時間続き、群衆は蹴散らかされてもまた集まることを繰り返しました。
翌日の夜にもまた群衆は集まってきて、「同性愛に平等を!」などのコールを始めました。クリストファーストリートからあふれでるほど、たくさんの人々が集まり、その数は推定で2000人と言われています。
抗議者たちの怒りは増していき、警察は警棒を使って戦いますが、人々は屈しませんでした。「クリストファーストリートは我々のものだ!」と声をあげ、5時間もの攻防戦の後、群衆はとうとうクリストファーストリートの解放を成し遂げます。
このストーンウォールの反乱は、その後の運動に影響していく象徴的な出来事として人々の記憶に残っています。

記事は削除済みです。すみません。

わたしはこのストーンウォールの反乱を知っていたからこそ、パレードへの違和感を持ったのかもしれません。抗議することがパレードの原点であり、歴史です。こういった文脈も忘れることのないようにしたいと思いました。

最後まで読んでくださってありがとうございました。


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