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わたしはここにいても良いのか-眠れない夜の考え事-

みなさま、こんばんは。今回は眠れない夜をやり過ごすために少し考え事をしたいと思います。布団の中でぽちぽち書いていきます。

眠れない夜を経験したことのある人は多いのではないかと思っているのですが、なかなかに辛いものです。
わたしはずっと横になっているのもしんどくなり、起きたり寝たりしてしまいます。

そんな時、漠然と考えてしまうことを今回は整理したいのです。
それは、「わたしはここにいて良いのか」ということ。これは子どもの頃から抱えている気持ちです。言い換えると「生きていて良いのか」とも言えます。

そんなこと考えたこともない、という方もいらっしゃるでしょう。わたしにとっては日常的な考え事です。そう考えるに至った経緯から、今はどう思っているのかまで書きたいと思います。

幼少期の不安

わたしは幼少期、正確には小学校低学年くらいまで両親から虐待をうけていました。両親は些細なこと(当時のわたしにはそう思えました)で癇癪をおこし、わたしを蹴ったり殴ったりしました。
愛している人から殺されそうになるという体験は、耐え難いもので、わたしは泣き喚くしかありませんでした。
その体験は今でもわたしの中に深い傷を残しています。30年経った今でもです。

父はあまり家におらず、母は神経質な人でした。わたしに対してネガティブな発言を母はよくしていたように記憶しています。「普通じゃない」とか、よく言われていました。

小学校でのいじめ

小学校に入学して早々にいじめが始まりました。そうして、虐待にいじめが加わったのですが、当時のわたしはいじめられていることに気づいていませんでした。
気づかないようにしていたのかもしれませんが、他人と自分との境界線が曖昧で、自分のことを客観視できなかったという状態だったのです。

しかし、小学校3年生あたりから少しずつ境界線がはっきりしていく中でわたしは仲間外れにされていることに気づいてしまいます。それにショックをうけ、教室にいる誰もがわたしを攻撃してくるように感じました。実際にわたしが蹴られても止める同級生はいません。
わたしは学校では笑わなくなり、最終的に喋らなくなりました。

それから、わたしは慢性的な自殺念慮を持つようになります。常に死にたいのです。
同級生からは、「死ね」「なんで死なへんの?」などと、毎日、言われました。何も答えられず、ただ耐えるしかありません。わたしの精神はどんどん疲弊していきました。

振り返ってみるとその時からうつ病だったのだろうと今の担当医は言っています。

「なぜ、生きているのか」という苦しみ

毎日のように暴言があり、暴力がありました。両親からの虐待は小学校3年生頃にはなくなっていきましたが、学校でのいじめは変わらず、わたしは悩むようになります。
毎日毎日、「なぜ、生きているのか」と答えの出ない自問自答が頭の中をぐるぐると巡るようになりました。その頃のわたしは、自分は死ななければならないと感じていたのです。毎日、そう言われている自分に生きている価値はなく、早急に死ななければならない。そう思い込んでいました。

何度も自殺未遂を繰り返し、自傷し、遺書を書きました。学習机のひきだしのひとつは遺書で埋まってしまうほどでした。

「死ななければならないのに生きている。生きてしまっている。早く死にたい」
そんな気持ちに支配されていたわたしは、酷く自分自身をないがしろにしていました。大切にする理由などないからです。しかし、実際に死のうとすると涙が溢れてきて、結局できずに、死にたくない気持ちと死ななければならない気持ちに押し潰されていました。

「死ななければならない」という呪縛からの解放

いじめは中学生になっても続きました。わたしはリストカットをすることで何とか持ち堪えているようなギリギリの状態でした。
そして、遂に事件を起こしてしまいます。
中学2年生の夏、わたしは自宅の2階から飛び降りたのです。全治半年の重体。飛び降りて、最初に思ったのは「死ねなかった」でした。

わたしはそのまま救急車に運ばれ、重体の身体を治すために入院しました。(そのときはなぜか精神科へは繋がりませんでした)

しかし、この事件がわたしを「死ななければならない」という呪縛から解放するのです。

それは突然やってきました。入院中、毎朝、看護師さんが「おはようございますー」と言いながら各部屋のカーテンを開けて回るのですが、開いたカーテンから差し込む光を見て、なぜだか、「こんなに大変なこと、わざわざしなくてもいい。もう死ななくてもいいや」と思ったのです。その時、やっとわたしは死ぬことを諦められたのだと思います。

自分でも不思議でした。思った後にハッとして、今なんて思った?!とびっくりしたくらいです。
それからは慢性的な自殺念慮は無くなりました。もうあれほど強く死にたいとは思いません。

今、思うこと

今、思うのは「もう死ねないな」ということです。
家から遠い高校を選んだことで環境が変わり、わたしは人から攻撃されない空間を見つけました。その中で出会った人たちに教えられたことがあります。それは、「わたしの命はわたしだけのものではない」ということです。

人と関わりながらでしか生きられないわたしは、誰かのおかげで生きているのです。その人のためにも死ねないと思えるようになりました。
いろんな人たちに支えられて今の生活があります。わたしの命はわたしだけが頑張ってなんとかしているものではなく、周りの協力があって、やっと成り立っているものなのです。

まだ呪縛から完成に解放されたわけではありませんが、今はこの呪縛と上手く付き合う方法を探っています。
精神科に通い、治療を続けながら、少しずつ変わっていっていると感じます。この積み重ねがいつか自分のためになると信じて頑張れるのは、周りの人たちがわたしを信じてくれるからです。
本当に感謝してもしきれないです。

眠れない夜をやり過ごす

眠れない夜は辛いと冒頭にも書きました。今、正にそんな状態なのですが、今これを読んでいるあなたもそうなのでしょうか。

どうか、この苦しい夜が早く明けることを願っています。
わたし自身もまだ完成に明けてはいませんが、今はいつかは明けると信じて、何とかやり過ごすことを考えます。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

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