街は動き出した
病院の朝は早い。
窓から見える空は穏やかに明るい。
仕事始めであろう今日、道をゆく車も多い気がする。
もう朝ご飯が運ばれて来た。
念願のパン食だ。
ごく普通の食パンだが、適温に温められていてふんわり柔らかい。
お皿に乗っていたマーマーレードをひと袋全部つけて食べる。
うう。甘くて美味しい。
美味しいよ。
大晦日、夕方からの食事会(寿司だ寿司)、紅白を観ながらの年越しそば。
それらを楽しみにしていた矢先、突然ぐるんぐるん目が回り始めた。
なんじゃこりゃ?!
目が開けられない。
怖い。
う、吐きそう。
あ、あ、やばい。
動けなくなった。
帰省していた娘があららららとなり、どうにも動けないので救急車を呼ぶことになった。
ずっと目を開けられない。
担架で揺られるとさらに頭がぐるんぐるんと回った。
救急車の中でも嘔吐は止まらなかったが、救急隊の人は優しかった。
無事病院に着いたものの、めまいと共にパニックを起こしていた私は震えが止まらず、怖くて年がいもなく泣いた。
なにやら聞かれたり説明されたりしたがよくわからないし、点滴の針がなかなか刺さらず、痛くて絶望した。
やっと付き添いの娘が診察室に呼ばれて入ってきてから、安堵でまた泣いた。
このまま入院になるらしく、それは観念したが、面会は一切できないと聞かされ、また不安で泣いた。
CTを撮ると言われ、「無理です無理です!」と喚いた。
「MRIじゃないよ?明るいしすぐ終わりますから!」
ああ…そ、そうなのか……。
落ち着け自分。
ああ不甲斐ない。
そんなこんなで娘は病室に来ることもなく帰り、私は何階へかは分からないないが移動しベッドに寝かされた。
たまたま家からパジャマ姿で運ばれて来たので、そのまま寝た。
腕の差し口がじんじん痛かった。
病室で新しい年を迎えた。
ハッピーニューイヤー!!
全然ハッピーじゃないけど。
その日はどう過ごしたかもう覚えていないが、何時頃だったろう。
点滴が揺れた。自分か?と思ったが、いやこれは地震だと思った。
目の揺らぎがだいぶ収まり、もうLINEをできるようになっていたので、娘に地震だと送った。
すると、能登の方で大きな地震があったと返事が来た。津波が来る!とも。
マジか。
やめてあげて。お正月だぞ。
いやお正月でなくともだ。
気持ちがザワザワした。
なにも出来ずただ祈る。
夜、いつも見ていた柴犬動画の柴ちゃんとご家族が無事避難したと言う短い報告動画が上がっていて、安堵で泣いた。
よく泣く。
お正月2日。
昼食におせちが出た。
毎日診察があり、少しまだふわふわしていたが、薬が効いてきたのか落ち着いてきてはいた。
毎日帰りたい、家族に会いたいと落ち着かない気持ちだったが、同時に、こんな年末年始でも働いて面倒をみてくれる看護師さんたちに感謝した。
昨日点滴が取れた。
ああ、この開放感たるや。
腕のあちこちに青あざが残っている。
二度と針はごめんだ(泣く)
そして冒頭に戻る。
街は動き出した
歌詞の一節をお借りした。
今日は聴力検査がある。
それが終わって問題なければ退院させてもらうんだ!
病室は四人部屋。
カーテンで仕切られているが、なんとなくメンバーの様子がわかってきた。
向かいのおばあちゃんは息子さんに電話をし、前日と同じ話をしている。
仏さんに備えてある餅の話だ。
お隣りの方はよく韓流ドラマだか映画を観ているようだ。ハングル語と韓流音楽がよく聞こえてくる。
一番遠くの方は、どうやら自分と同じ症状のようだ。診察の度に一緒になる。
過去の入院生活からすると、大概入院友達ができるのだが、今は仕切られているし、このままお別れになりそうだ。
今朝、久しぶりにnoteを見た。
ずいぶんnoteに触れてなかった。
少し離れると書く意欲もなくなるものだなぁ。
今、なんとか勢いで書いている。
パンが美味しかったからかなぁ。
まだ最後の検査に呼ばれない。
フライングで帰り支度をしている。
街は動き出した。
私もゆっくり日常に戻りたい。
今年の決意?
目標?
まだなんも考えてない。
健康でいたい。
今はそれだけだ。
いや、悔しいから意地でもいい年にする!!
あ、あと、ミスタードーナツが食べたい……。
【追記】
せっかく帰省してきた娘に心配をかけてしまった。
じーちゃん(父)のおかげで、娘はお寿司も食べられたし、年越しそばもお雑煮も、いいお肉も無事食べられたようだ。よかったよかった。一緒に紅白を観られなかったのは残念だった。
あ、年末年始、働きづめの夫も昨日は休みで、親子でラーメンを食べに行ったらしい。よかったよかった。
猫に会いたい。
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