詩心とやさしさ
独身の頃、私の結婚相手の条件は“詩心を持った人”、そして“心根のやさしい人”だった。
実際、夫と結婚する前、彼の年収やら貯金額など一切聞かなかったし、どんな仕事をしているのかも詳しくは知らなかった(無謀だ)。
自分自身も大して貯金はなく、それはさすがに少し心配になり、そのことを彼に伝えると「ゼロ1個足しとけ」と言われた。
「そうか」と思った。
夫はそういう人だった。
さて、詩心ってなんだ?
辞書には 『詩を創作する心得。詩の趣を解する心とたしなみ』とある。
私の思ってたのはそういうのじゃなかった。
私自身も特に詩集を読んだり詩作したりしていたわけでもないし、相手にもそれを望んでいたわけじゃない。
今となれば自分でもよくわからないのだが、なんだろ、ものごとや人や事象を見つめる眼差しみたいなものだろうか。森羅万象に対する寄り添う眼差し、愛ある目線。
2つ目の条件であった“心根のやさしさ”にも通ずるものかな。
そんなキレイゴトを思って結婚し、今に至るわけだが、果たして夫に詩心があるのかどうか未だにわからない。心根はやさしいようだ。
そもそも自分自身にその詩心などあるのだろうか。
わからないけれど。
強くないとやさしくなれない。
自分はそんなに強くないし、実際そんなにやさしくもない。
現実には“生きる”と言うのはとても大変だ。お金も大事。無さ過ぎて泣けてくるもの。
会いたい人に、会いたい時、すぐに飛んで行けるお金と体力と時間は欲しい。とても欲しい。
それでもやはり詩心=やさしさは持っていたい。たぶんそれはとても小さな事で。
例えば、ゴミをポイ捨てする者に詩心はない。
そういうことだろう。
よくわからないけれど。
……
宝くじ当たらないかな。