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電線の上の世界

「私に生きる意味なんてあるのかな」
彼女は言った。
「別になくても良いんじゃないかな、意味を探すことが自分の意思じゃなくなった時点でそれは社会からの評価を自分の生きる意味の基準にしちゃってるっていうか…」 僕は言う。瞬時にああまた彼女に自分の自我の話を無責任に吹っかけてしまったなと後悔する。
「あはは、そうかも」これは彼女が僕の面倒臭い話をはぐらかす時の感じだ。ただ、今日の彼女は少しだけ違った。
「私って…馬鹿みたい。自分の限界というかさ、ありもしない制約を感じて、それで苦しんでる」
これはなんとなく分かる所があった。彼女は学校でも成績はいい方だし、女子特有の継続力で何事においてもそれなりに結果を出していた。だが、僕は一度も彼女の心からの声がこぼれ落ちたのを聞いたことが無い。いや、ついさっき初めて聞いたばかりだった。
「苦しんで悩んでいるってことが、生きてる意味なんじゃ無いかな…とか」
「最低。そんなんじゃ誰も幸せにならない世界だよ、くそくらえだよそんなの」
「レディにしては大胆な発言だな」
「失礼、言い直します。うんこ召し上がれですわ」
ネタが通じたのが嬉しかった。それは彼女が学校でテストでいい点をとって男性教師から表彰されていた時よりもずっと知的で、美しく見えた。あぁ、僕は彼女に恋をしているんだ。大人やクラスメイトからはどうでもいいと一蹴されるか、そもそもネットの有象無象の動画のネタなんて知らない人の方が大半なわけで。実際どうでもいい動画なんだけど。ただ、彼女に僕が言ったしょうもないネタが通じたということがとにかく嬉しかった。
「あーあ」 ここで好きだと言いかけた。彼女のことが好きだと。たださらっと、言えるかなと思った。だがここで僕は彼女の言葉を思い出した

ありもしない制約

結局は僕もそれに縛られている人間の一人であった。
彼女に好きと伝えることで彼女との関係性や学校生活が壊れることを恐れていたのだ。

「電線の上の世界ってあるのかって考えたことある?」
彼女は唐突に言った。

「え?」
「あ、いや、なんていうのかな、仮想現実とか、そういう話あるじゃん」
「マトリックスみたいなやつ?脳がコンピューターと繋がれててコンピューターが僕らが過ごしてる世界を映してるみたいな」
「まぁそういうやつ。でさ、仮にその仮想現実のサーバーがあったとして、そこにもデータ容量みたいなのがあると思うのね」
「SFだァ」 彼女が思ったよりも深い話をしてきたので僕は会話のテンポが一瞬掴めなくなった。
「その世界には当然空とかはテクスチャで貼られてる訳。で、データ容量を減らすために私たちが見てる世界はある程度一部に限定されてるんだよ」
「わかるようでわからん」
「で、こう…人間が一生のうちに行動する範囲だけに絞った時に、電線から上の世界って見たことないなって」
僕と彼女は住宅街を歩いていた。周りを見渡してみると、確かに僕らはいつも電線から下にいるなと思った。
「でもーほら、ビルとか飛行機とか、電線より上じゃん。あと最近は東京とかには電柱無いし」
「まぁ…その辺は誤差だよ、誤差!」彼女は大雑把だった。
「要はさ、私たちがやっちゃダメとか、常識とか思ってるものって、勝手に自分たちの限界って思ってるだけなのかも。電線から上の世界を見たときに、また別の視点から世界を見れるのかなって」
所々彼女の話はわからなかったが、それでも彼女の制約からの解放を強く望むような思想は好きだと思った。あぁ、駄目だな、僕は彼女を心の救いとして依存しようとしてしまっている。ただのクラスメイトなのに。
それから僕は彼女と話すことで増幅するであろう好きという気持ちがとても歪んだものに思えて、話すのが怖くなってあとはただ黙って歩いていた。彼女も黙っていた。

「じゃあね」
そう言った時の彼女の顔はとても儚く、綺麗だった。でも、きっと明日になったら僕は彼女のこの顔を思い出せなくなってしまうだろう。本当は彼女に好きと言いたかったのに、それを言うタイミングはいくらでもあったのに。そのしょうもない後悔の念で僕はあえてそっけない素振りで「じゃ」とだけ言って別れてしまった。かっこつけたのかな僕は。でも死ぬほどダサいし惨めだとすぐに思った。別れた後の帰り道で、どんどん距離が離れていく数分の間に、僕は今すぐ振り返って彼女のもとに戻るべきだろうかとか、やりもしないことを考えていた。その時間も惨めだった。

ただ、電線の下を悲しげに歩いていた。

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