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11月19日のタイムは「赤い蝋燭と人魚」がなぜか、浮かぶ🤭

おはようございます☀タイムです😊少し、寝坊しました😅たくさん眠れているのだから、ありがたいことなんだけど、なんか残念な気がしているまだ暗い金曜日の朝🤣

私は毎朝、5時15分前後に起きる。布団の中で浮かんだ曲をまず、つぶやきで出す。今日はこれ

最近のルーティンだけど、なぜか曲がバラバラ🤣今日は曲の次にいろいろなワードも浮かび、かき集めてGoogleで検索すると

小川未明作 「赤い蝋燭と人魚」

絶対に読んではいない😅

浮かんだのは「海」「人魚」「蝋燭」「おじいさん、おばあさん」

確かに赤い蝋燭と人魚である。読んでいないのに、なぜ浮かんだのか、まったくもって不思議過ぎる🤣でも、せっかくなのであらすじを読むことに。

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Wikipedia引用。

なんと悲しい話なんだろう😢しかも1921年(大正10年)刊行😳100年前のお話なのだ。このあらすじを読んで私はふと思う。

これ、要所要所で話し合っていたら、こうはならないんじゃないか?

そもそも、人魚のお母さんが「人間は優しい心を持っていると聞いていた」なので、ここで人魚の誰かが

本当に人間が優しいかだなんてわからないよ

って言ってくれたら、お母さんも考え直したかもしれない。そして、大きくなった人魚の子も「自分がろうそくに絵を描いたら、みんな喜んで買ってくれるだろう」で絵を描き始めるけれど、私は自分の子がこんなことを言い出したら

「それは、本当にあなたのやりたいこと?やりたいことならいいけど、誰かが喜ぶからやる!なら、あなたのやりたいことじゃないと思うから、もっと考えた方がいいよ」

と言うだろう🤔例え、血の繋がらない人魚の子だとしても一緒。しかも、手は痛くなるし、自分を育ててくれた恩を返したいとめっちゃ必死に、多分、メンタルも少なからず崩壊していたのに、それでも泣きながら書くのだ。誰か、

「もう蝋燭の絵はいいよ。今まで頑張ったね。もう頑張らなくていいんだよ。」

とハグしたら、どれだけ人魚の子は救われただろう✨朝からあらすじを読んで、ちょっとウルウル🥺しながら、ふと思う。

これは私達の物語でもあるなあ。

こうしたら喜ぶとか優しいに違いないとか、自分の中だけで判断している。めっちゃ勇気いるけれど、そばにいる誰かに思いをシェアすることができたら、こんなに苦しまなくても生きていけるんじゃないかと感じた。

生きていくのは大変だし、苦しいけれど、誰かと思いを分かち合える時に、あー人間で良かったなあ😆生きていて良かったなあ😆って思えるんじゃないだろうか。

私だったら、人魚の子を引き取ろうと決めた時から他の子と同じように育てたいと思うし、ろうそくに絵を描かせたとしても、苦しみながらは描かせない。

我が子に幸せになってほしいと願った人魚のお母さんと、人魚の自分を育ててくれた祖父母になんとか恩返しをしたいと必死で頑張った人魚の子と、次があるならハッピーエンドを準備してあげたいと思った金曜日の朝☀️

nokko/人魚

🎵涙が枯れるその前に 星を見上げる 素敵なことも淋しさも 輝きに似て あなたがくれた その面影に 本気で叫んだ 抱いて 抱いて 抱いて〜

きっと、人魚の子は覚えていないお母さんに思いを馳せていただろう。お母さんもそばにいたら、いっぱい抱きしめてあげたに違いない。

大切な人がそばにいて、毎日思いを分かち合うことができる。これって当たり前じゃないんだなあ🤔このことに気づくために「赤い蝋燭と人魚」が突然、降ってきたんだろうなあと思った😊

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