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埼玉小川町の富士山に登る

埼玉文学散歩

何故こんな本がうちにあるのかはちょっと謎ですが、多分私の父が散歩の途中に拾ってきたものだと思います。引っ越される人がご自由にお持ちくださいとか書いて前に並べてあるようなところですね。

書籍、埼玉文学散歩

埼玉文学散歩。古い本です。昭和39年刊。著者榎本了。1000部の限定版のようで、調べてみたのですが、古本でも売られているようです。で、この本のなかに、小説家の田山花袋が埼玉の小川町を訪れた時の様子が書かれてあります。時代は大正時代でしょうか。

田山花袋と田舎教師

知っている人は多くないと思いますが、田山花袋と言う人は田舎教師という小説を書いた人でして、私も昔読んだことがあります。実在のモデルがあって、若くして亡くなった教員でした。胸を患って僅か21才の人生だったようです。それを知った田山先生は強い印象を受けて小説化したものだと言われます。

本来進学したかった主人公は、貧しさゆえにそれが叶わず、知り合いの紹介で代用教員になりました。友人たちと文学サークルを組んだりしますが、密かに思っていた女性が友人のひとりと親しいことが判ったりで、傷心の思いでした。一旦は捨て鉢になったのですが、どうにか心を立て直して教員を立派に勤めようと決心します。しかしその頃から胸の病が顕著になり、望むことが何ひとつ叶わぬまま、21才で生涯を終えました。

もう詳しくは覚えていませんが、そんなストーリーだったと記憶します。叶えられずに終わる人生は、思えば誰しも似たようなありふれたものかも知れません。恋愛の一つ実らずにという人生は、人は様々にしても、私には普通のように思われます。違うと言えば、私はこの主人公またはモデルになった人よりもかなり長い間生きているくらいでしょうか。

その田山先生が当時の小川町の意外な程の活気に感銘し、泊った宿(現存します)の窓から見えた不二山(かつてはこう言ったのかな)を形の良い丘陵と形容しています。

富士山へ

こう言うこともあって、物好きな私は以前そこに登ったことがあります。どこから登ってよいのかなかなか知れなかったのですが、バブルが弾けて長い間造成地のまま放置されていた場所が今は住宅地になっており、その脇から登れることが判りました。今回も同じルートを辿って、降りる時は逆へ出ようと決心していました。


道路沿いに咲く藤を眺めながら歩く

目的地は小川町駅の降り口とは反対の方向です。線路沿いに駅近くのヤオコーの前を通り過ぎると小川バイパスに向かって登る道路の陸橋があります。これを渡ってそのまま歩けば住宅地に入る枝道があります。その二つ目を入れば登り口は直ぐにわかります。上の写真のような側壁がずっと続きます。


すると住宅地の脇から登っていく道があるので、ああこれだなとすぐに見当が着きます。何度もクニャクニャと曲がって歩かねばなりませんが大したことはありません。


向かいにも山がある

振り返って見れば道路の向こうにもとんがりが見えます。あの山には登れないのかな、名前もないのかな、ちょっと気になります。確か山の裏側には中学校があったはずですが、そちらから登り口はないのかな。ピラミッドのような形が形なのでちょっと興味深いです。


みどりが丘の方を見る

ちょっと右に振ればスーパーヤオコーのみどりが丘店の看板が見えます。埼玉以外の人はヤオコーを知らないでしょうね。


成り行きのまま登っていきます。


白いタンクが見えてきました。Googleの地図では配水場となっています。


配水場

付近の住宅に水を配る施設ですかね。当然立ち入り禁止ですがここには用がありません。


ひっそりと延びる頂上への道

その脇から更に登る道が見えます。これが頂上への道です。右の白い円弧状の筋は逆光による光の関係です。霊現象ではありません。神様が出現したとかなら嬉しいですが。


やや心細い道ですがこれが頂上へ続く道です。


そんなに歩くでもなく電波塔が見えてきました。


一帯へのテレビなどの電波はここから送信されているみたいですね。

富士仙元大菩薩

富士仙元大菩薩

塔の囲いのすぐそばに富士仙元大菩薩と書かれた石板があります。こういのなんていうのですかね、やっぱり祠でしょうか。十円以下の小銭ばかりですが賽銭がこれだけあることを思うと日常登ってお参りする人がそれなりに居るのでしょうね。しかし菩薩というのが興味深いです。普通は大明神とかじゃないですか。菩薩は仏様ですが、神様と一緒だった時代もありますからね。


ここが頂上のようです。182メートル。これは多分古いのが折れたので入れ替えたのでしょうね。よく見ると大菩薩の他にも文字が沢山彫られているようにも見えますが薄くて読めません。

小川町には仙元山と言うのもありまして、そちらには長い滑り台とかがあって見晴らしの丘とか言われて割と知られています。仙元というのは富士の浅間神社から来ていると思うのですが、富士信仰とかがあったのかな。山のない所ではミニ富士山を作ってそれに登ると一度登山したのと同じ御利益があるとかを聞きましたが、この町はわざわざそれを作らずとも山に囲まれているのでここがその場所だったのかも知れません。町の歴史を調べてみると面白いかも知れません。

下りへ向かう

以前登った時はここで引き返しました。そのまま行ってどれくらいかかるか、そもそも行けるのかどうかわからなかったので躊躇したのです。しかし今回は突っ切る覚悟です。まあね、狭い山だし行き止まりになれば戻れば良いので…。


ここでは下っていく道は一本しか見えないので成り行きで行きます。


思いの外険しい崖

しかし、やや行ったところで驚いたのですが、下りに向かって左の斜面、これが全くの崖のようになっていまして、かなり危なっかしい感じなのです。


崖が怖そう

これ以上降りると危なそうなところまで降りてみたのですが底が見えません。ドーンと抉れていて、うっかりして一旦滑ったら戻れなくなりそうです。今までにそういう事故ってないのかな。低くて狭い山なのにこう言うところがあるのは驚きです。向こうが明るいので歩いてどこかへ行けるのかな。でも落ちたら怪我はしそうです。


驚きつつももうちょっと行くと道が二つに分かれていました。この山には元々幾つかの登り道があるのですが今はわからなくなっているみたいです。狭い方はもしかしたらそっちに通じているのかも知れません。


ここでは大きくて安全そうな左をとって歩きました。はっきりとした道です。


二つ目の電波塔

ちょっと行くとまた電波塔がありました。さっきのより大きく感じます。


当然立ち入りはできないようになっていますが、KDDIとなっているのでAUですか。こういうのがあるということは、実際は関係者が普通に登ってきているのですね。多分逆から登ってきているのでしょう。


ということで、もうちょっと行くと柵がありましたが人は普通に通れるようになっています。一応は信仰の山の登山道ですからね。


柵を越えると、そこは某銃砲店の管理地のようで、倉庫が沢山並んでいます。何を保管しているのかな。民家とも事務所ともつかぬ建物もあって洗濯物も干されているので人は普通にいるようです。そう言うことなので撮影は遠慮しましたが。

この辺りからは普通に民家が並んでいて道なりに直ぐに道路に出られます。どっちから登っても迷うことのない山でした。しかし斜面を落ちたら結構やばいかも知れません。


降りてきた山を振り返る

振り返って山を仰ぎ見ます。小さく見えますが手前の盛り上がりが大きく見えているだけでして、山裾がこの道路沿いにずっと続いています。

興味のある方はGoogleマップで小川町富士山で検索してみてください。申し訳ないですが貼り付けるのが面倒くさくて。一度もやったことがないので…。

以後も自身の健康のためもあるのであちこち歩こうと思います。

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