見出し画像

今こそガッシュを楽しみたい--6--明暗と暗示を考える

わっはっは、タイトルが重複しそうでややこしくなってしまいましたが、挫けずに行きたいと思います。

ちょっといつもより長いですが行ってみたいと思います。明暗と暗示。私は特にこの方面に興味を抱いており、ちょっとばかりやんちゃな実験が大好きです。ものが見えていると言うことは、つまりは光の中に居るということであって、見えているものは全て明暗の階調のなかにあり、その部分を少々考えてみたくなります。

ずっと以前、苦労して描いてもどうにも絵が平板でつまらないと感じることが多いのでした。色々悩みつつも考えてみたのですが、結局は明暗の調子、これを音階に例えて--トーン--とも言っていますが、この部分での理解が足りないせいだろうと考えました。

その考えは、それ程外れてはいなかったと思います。と同時にあまりにこまごまとローラー作戦のように描かれた絵も、私にはちょっとばかり退屈を感じてしまうのでした。この原因はどの辺にあるだろうとも考えました。

あまり学識ばったことは言えないのですが、私たちの脳は暗示されたものから物事を想像する、或いは補完とでも言うのか、脳にその作業をさせる部分が絵に残されている方が興味深く感じる。つまり暗示に留められた部分のある表現の方に脳は心地良さを感じるのではないだろうか。

念のためですが、絵にピントが合っている、もっと言えば輪郭の鋭い絵が必ずしも細かいと言うことではないと、その辺は注意する必要がありますが…。


image_1

夢の中の映像に驚きを感じた経験のある人はどれくらい存在するでしょう。私は幼い頃から夢に現れる映像が現実以上に遥かに感銘的で説得力があることを感じていました。話を手短にしたいのですが、例えば山で遭難した経験のある人々はほぼ例外なく幻覚幻聴を経験しているそうです。ここでは幻聴のことは置くとして幻覚を考えます。

人は何故幻覚をみるのでしょうか。その見え方は朧げに見えたとかの類ではなく(勿論それもあるでしょうが)、はっきりとそこに物があるように、人が居るように見え、時には感触もあるそうです。つまり夢の中と同じです。夢には脳が記憶していることは全て現れます。

しかしながら、見たこともないようなものや、或いは気象現象なども脳は描き出すことが、どうやらできるのだろうと言うことです。これはとても不思議です。この分析は私には無理ですが、これは絵画だけではなくて映像全般を仕事としている人たちも多分同様に感じていると思うのです。絵画も当然脳で理解される映像です。脳は切っ掛けがあれば見たこともないようなものでさえリアルに迫力を持って再現する性質がある。そして物はいきなり細部から見えてはこないと言うことで、なるべく大雑把なトーンの配置と暗示を考えることは、私の場合はとても重要なのです。勿論これは個人の考えであり私の非常に狭い範囲の世界観ですが。


image_2

この部分を考え、練習するには、取りあえずはトーンだけで描く、つまりモノクロで練習することはとても有意義だと思います。下描きは不要で、いきなり明暗の塊りを置いていくのです。私はきっと、これからもモノクロの絵を、サイドの作業にはなるとしても、きっと続けるだろうと思います。ついでに言えば、なるべく単純な画材だけを使って絵の具慣れ筆慣れしてしまうのもきっと得るものがあると思います。どんな立派な理屈を持ってくるより、描くことは結局描くことでしか分からないように思います。

一枚目の絵は何に見えるか。何に見えても構わないのですが、池の畔にも見えるし競り上がった斜面とその向こうにも見えます。二枚目の絵はそれをひっくり返したものです。おお、この方が池の畔に見えますね。雪景色に見えて木々も生えています。


image_3

縦にしてみたら林か山の中の古木とその周辺を暗示しているように見えます。私には…。

このように暗示に留めて置くと脳は様々なシーンを想像する癖があります。絵を考える上ではこの部分は切って話せないと、私は感じています。私の好みとしてはこのままでも面白く感じるのですが、個人の実験ではなく展示する場合にはやや細部を乗せて形を説明する必要があるかも知れません。しかし一度説明してしまうとみる方向を変えても他のイメージはあまり湧かなくなってきます。

絵は個人々で無限の考えをするものだし、その好みも無限です。これは飽くまでその上での意見です。この練習をする場合、絵の具を水で溶いただけの透明水彩のような形でも可能ですしそれはそれで面白いのですが、やはり不透明を考えた方が面白いと思います。いきなり塊りで描いて行けるのが不透明の良いところです。


image_4

試しにもう一回点してみたらどうでしょう。うーん、これは特に何かは想像しにくいですね。川べりと捉えることもできそうですし、とぎった眼付の野郎の顔が右にあるようにも見えます


image_5

しかし左下の部分をみると奇妙な奴が出てきましたよ。へこみに入って雨宿りか雪を凌いで空を見上げている妖怪ですかね。二匹居ますね。こんなところも愉快だなと感じます。ここからだって面白そうなのが描けそうです。

細部を暗示に任せるのと見ようで色んなものに見えてくるのとはまた意味が違うのでややこしいのですが、なんであっても自由に個人の考えを発展させることができれば絵も楽しいと思います。描画法や考え方が全然ヘンテコリンでも全然オーケーだと思います。

どんな練習も、めげずにやったんさい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?