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幼少期が人格を決定するというのは本当だと思う


これから披露する半生記は、期待するようなnote の自己紹介にありがちな、壮絶極まりない悲惨かつドラマチックな物語とは真逆の、いわば退屈なストーリーが待っているのでお断り申し上げておく。
それどころか、単なる自慢話かと思われてしまうだろうリスクも承知している。それでも覚悟の上読み進めてもらえば存外の喜びです。


祖父と祖母は共に教員で、我が家には祖父母の正装をした立派な肖像画が残っている。
しかし若くして亡くなったため、父は親類に引き取られたあと丁稚奉公入りし叩き上げの靴職人となり小さな靴工場を始めた。
母は和服の仕立てを請負ってやっていた。

二人とも職業柄か共にかなりオシャレだった。
そこにおいては私は二人の影響を受けて育った。
中学生の頃は、買ってきたズボンのデザインを自分で仕立て直したり、高校の黒の詰襟制服を無視して、グリーンの細身のズボンを着て先生に尋問を受けたこともあった。

今でも服のセンスに関しては誰にも負けない自負があるけど、そのあたりが源流なのだろう。

小さい時からその両親にはすごく愛された。その分、割りを食った姉と妹には後のちまで事あるごとにやっかまれ続けたほどだ。

小学校では通信簿はオール5を何度ももらい、クラスの女子の間での人気投票では常に1位。
学級代表にも毎年選ばれることとなる。さまざまな文武両道のイベントものには決まって一人選ばれて学校の代表となる。
スーパー小学生だった。

中学、高校、大学に通うようになっても常にメジャーな存在感の友人グループに囲まれていて、生まれてこのかた“孤独”と無縁の人生だった。

おまけに高校では学年一のマドンナと、後に最初の結婚まですることになる。(のちに、積み上げてきた思い上がりが原因で別れることになるが)

こうした生まれ育った環境が、今に至る人格形成に多大な影響を及ぼしているのは疑う余地がない。
すなわち、私の人間に対する見方は完璧に性善説にたっている。
とくに特定の人を嫌ったりしたことがほとんど記憶にない。

ただ、裏を返せば “打たれ弱いというマイナス面を併せ持つことになる
それが“ネガティブな言葉を極端に嫌う”という面につながっている。
社会人になってからは、職場環境にネガティヴ要素を感じるとそこに長く続くことはなかった。

しかしむしろ、頑張って耐えるということをしなかったため、メンタルの病とは縁がなく、いたって健全な精神のまま来れたのだろう。

そのせいもあって、極めて楽観思考でもある。
その結果、勤め先を幾度となく変えることとなり、最終的に独立、起業という道を歩むことになる。

いずれにしても、結果としてこんな性格が結構良かったと思っている。
真っ直ぐに育ててくれた両親に感謝。


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