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自分で決める勇気はどこへいった?

先日、5歳のむすめと一緒に近所の図書館へ行った。

こどもとしょコーナーでは紙芝居や絵本、将来の
職業の本などたくさんの本が並んでいた。

「色んな本があるねぇ」「どんな本が借りたい?」

むすめと図書館にきたのは3年ぶりだろうか。
最近は親子共にYouTubeばかりになっていた
日々にちょっぴり罪悪感が生まれた。

「ママ!わたし、これにする!」

むすめが持ってきた一冊の本。
「アレルギーの本」と書いてあった。

「どうしたの?難しそうじゃない?」

むすめはアレルギーでもなんでもないし
興味を持ったことに疑問を抱いた。

「あのね、〇〇ちゃんがアレルギーなんだって。
わたし、〇〇ちゃんのきもちが知りたいの」


涙が出るほど嬉しかった。

むすめは
「〇〇ちゃんは同じクラスのお友達で
牛乳を飲んだり誰かのツバがついたりすると
アレルギーだからよくないんだって」と
教えてくれた。

毎日の生活の中で
自分の知らないことに興味をもち
どうしてなんだろう?と自分で考えて
自分で調べてみようとする。

これは、ごく当たり前のことのように見えて
そうではないのかもしれない。 


例えば、私はAmazonユーザーだが
すごくいいなぁと思う商品を見つけたとき
真っ先に商品レビューを見る。

そして、そのレビューが悪かった場合
商品の説明や特徴を詳しく調べることなく
「やっぱりやめようかな」
とページを閉じる。

また、このままの状態で仕事をしていて
いいんだろうか?と不安になり
まずは、スマホを握りしめて答えを探してみる。
【仕事  今後  キャリア  ママ】
検索ワードはこんな感じだ。

そして、そこからビジネス系YouTuberの動画を
みて「なるほど、そうなのか」と
やけに感心して同じように動いてみたり
心動く情報ばかり集めようとする。

自分でとことん考えてみる前に
もっともらしい答えはないだろうか?と近道して
いた自分に気がついた。

むすめは
自分の目で周りを観察して
自分で知らなかったことに気づき
知らないから知りたいと感じ
たまたま私と来た図書館で
自分の知りたい、を見つけたのだ。

どうして、自分はこんなにも
知らないことに不安をやたらにくっつけて
自分で決めるより先に
周りばかり見てしまうのだろう

自分の中でうまれた疑問や迷いを
もっとシンプルに
もっと自分のフィルターを通して
向き合わないといけないなぁ。

むすめの純粋な「知りたい」のきもちから
たくさんの気づきがあった。

「自分で決める勇気をもつ」

その勇気を奮い立たせるために
これから自分の教養をもっと育てる必要があるし
立ち止まって考える時間も必要だろう。

今からでも遅くはない。

また、むすめと図書館に通って
知らない、だから知りたいことを
たくさん見つけたい。

自分で決める勇気は
知りたいことを知るための
大きな原動力になるのだ。

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