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宇宙に一つだけの揺るぎないものを見つける旅

「ゆたかさ」は心が満たされた時に感じるものであって、誰にも見えないし触れない。それぞれの感性を動かす特別なものだと思う。
その存在に生まれながら気づいている人もいれば大人になってから知る人もいて、お墓に入っても見つけられない人もいるのだろう。
また、「ゆたかさ」の基準はその時々によって変わるものでもあるから、わたし達は常に「Only One」の揺るぎないものを探しているのかもしれない。

1.大切な人にとっての「ゆたかさ」

わたしにとって大切な人は、家族や友人だ。直接会ったことはない作家さんや芸能人であってもわたしに笑顔をくれれば大切な人になるし、架空の人物であっても時には大切な人になる。
彼らの「ゆたかさ」はどこにあるのだろう。

 1-1.母にとっての「ゆたかさ」

母は祖母(彼女にとっては生みの親・母)に愛されずに育ったと嘆いていた。祖父の稼ぎがよく金銭的には恵まれていたし高校は県内で二番目の進学校にいくくらい賢かったけれど、ゆたかさを感じていない様子だった。傍から見れば恵まれたお嬢さんであったのだろうけど。


お見合いで知り合った父は裕福ではなく、結婚してからは苦労しているようだった。仕事と家事が両立できず、わたしや弟に対してネグレクトな面があった。名字が変わってからの母は傍目から見れば不幸な女性だろうけれど、本人は子ども(わたしと弟)の存在こそが「ゆたかさ」の象徴だと思っている。
母は口癖のように言う。「子どもは絶対生みなさい。パパとは好きで結婚したわけじゃないけれど、子どもはかわいい宝物。あなた達がいてくれるだけで幸せだから」と。

 1-2.父にとっての「ゆたかさ」

父は4,50代の頃はよく癇癪を起していた。思う通りにいかないと母を怒鳴り散らしたり部下の悪口を言ったりして憂さ晴らしをしていた。きっと、彼は未だに「ゆたかさ」を感じていないのだと思う。
弟は「オヤジは姉にはガムシロップのように甘い」と言っているし、わたしも父からの溢れんばかりの愛情は感じている。けれど、母のように子どもの存在自体が「ゆたかさ」に結びついているわけではないようだ。

普段の父の口ぶりから分析するに、「世間体良く生きること」が「ゆたかさ」の象徴らしい。妻は家事が苦手だし娘は不登校だったし息子は病弱だしで、彼の思う「世間体が良い」生き方とは違う人生。そりゃあ「ゆたかさ」は感じられなかっただろう。
子どもは二人共三十路過ぎても独身で自分は古希間近なのに孫がいない。きっと、現在の父も「ゆたかさ」とは遠い場所にいる。

 1-3.弟にとっての「ゆたかさ」

弟は幼少期から体が弱い。幼稚園児時代に骨折した腕はきれいに治らなかったし、中学生時代に背骨が曲がる病気を発症して大手術をした。
そんな彼はゲームや漫画に熱中してる時が一番幸せそうだ。きっと、二次元のキャラクターに自己を投影して「強い自分」になれる瞬間に「ゆたかさ」を感じているのだろう。


弟も父ほどではないが怒りっぽく、現状に満足していないようである。妄想の中では「ゆたかさ」を見つけられても現実ではまだ「ゆたかさ」を見つけられていないようだ。

 1-4.友人Mにとっての「ゆたかさ」

わたしは負けず嫌いだ。その性格が悪い方向に発達し、学生時代のわたしにとってはマウントが取れることが「ゆたかさ」の象徴だった。父の場合は言い方を変えれば「人並みの幸せ」で「ゆたかさ」を感じるタイプだったけれど、わたしはそれを上回る「高い地位と名誉により得られる幸せ」で「ゆたかさ」を感じるタイプだった。

だから、学生時代のわたしは一流企業の正社員になるのに必死だった。何かがしたいわけではなく、誰もが知る企業に就職して高い賃金を得ることにのみ価値を見出していたのだ。


けれど、友人のMは人と比べることに価値を見出していなかった。Mは就職せずに実家に帰り、大好きな本を買い取ったり売ったりする仕事をしている。彼女は「好きな本に囲まれてマイペースに生きてゆく」ことに「ゆたかさ」を感じているようだ。

 1-5.先輩A,友人Sにとっての「ゆたかさ」

アラサーになったわたしは仕事やマウントに対する必死さは和らいだけれど、夢想家なところは変わっていない。結婚するなら、運命の人がいい。もういい加減結婚に焦らないといけない年齢なのに、白馬の王子様が迎えに来てくれることを夢見ている。


同郷ながら東京の大学で出会ったA先輩は美人で賢くて人当りもよく、多くの男性に愛されるタイプだと思う。
A先輩は特撮ヒーローオタクだ。職場に特撮ヒーローを演じた俳優にそっくりの男性(王子様)が居ると、恋する瞳で語っていたことがある。わたしはアプローチするように勧めたが、A先輩は恋に自信がないのか見ているだけでいいのと答えていた。
そんな彼女は、30の時に婚活パーティーで出会った男性と結婚した。「生涯独身でも良かったけれど、世間体を気にしたから結婚した」とのこと。その男性を選んだ決め手は「種類は違うけれど彼もオタクだから」。
A先輩の旦那さんは写真でしか見たことないけれど、お世辞にも王子様とは言えない。わたしだったら俳優にそっくりな王子様に積極的になることはあっても、この人とは結婚しないのになと思ってしまった。
A先輩は憧れの王子様よりも「オタク」という共通の趣味を持った人を選んだ。彼女にとっては「世間体を重んじながらも趣味に傾倒して生きること」が「ゆたかさ」の象徴なのだろう。

わたしだったら、王子様と結婚する為なら趣味すらも捨てると思う。

友人のSは母親が20歳過ぎで自分を生んだこともあり、早めに子どもを生むことを考えていた。だから20歳半ばから街コンやら婚活やらに足繁く通っていたし、街コンで知り合った男性に会う為に東京から大阪に足を運んだこともある。
そんな彼女は自身の父親から紹介された男性と数年交際し、結婚した。相手の男性は優柔不断でなかなか結婚を決断してくれず、Sは「これ以上待たされるなら別れる」と宣言したこともあるらしい。
Sは「子どもを生んで親族に顔を見せること」に「ゆたかさ」を見出しているらしく、今は妊活に勤しんでいる。

A先輩もSも現実と結婚しているが、わたしはまだ現実と向き合えずにいる。どうしても、子どもの頃に描いた「運命の人」への呪縛から解放されずにいる。
わたしに「運命の人」の呪縛を与えたのは、美少女戦士セーラームーンだ。

2.架空の人物にとっての「ゆたかさ」

美少女戦士セーラームーンは、月野うさぎ(セーラームーン)が恋と友情の為に闘い成長してゆく物語。うさぎは前世で恋人だった地場衛と今世でも出会い、恋に落ちる。まさしく、うさぎにとって衛は「運命の人」だ。
少女が「運命の人」とイチャイチャしたり「運命の人」の為に闘う話を幼少期から小学生時代という多感な時期に見せつけられたら、そりゃあ「運命の人」信仰にどっぷりとつかってしまうだろう。

では、そんな美少女戦士セーラームーンの登場人物にとっての「ゆたかさ」とは何なのだろう。

 2-1.うさぎ(セーラームーン)にとっての「ゆたかさ」

子どもの頃、わたしはうさぎが好きではなかった。彼女の友人達は賢かったり運動神経抜群だったりと才能に溢れているのに、彼女はごくごく普通の女の子だったからだ。
でも、うさぎより倍も年を取った今になってみると感じ方は変わる。能力に関しては一般的だけれど、心の痛みに敏感だったり優しかったり底抜けに明るかったりして、人の心をほぐす。「愛され力」があるのだ。

「愛され力」のあるうさぎは「運命の人」である衛は当然ながら、仲間達のことも大切にしている。守られるべき姫でありながら、仲間がピンチに陥れば命がけで闘う。
そんな彼女から垣間見える「ゆたかさ」の象徴は「周囲の人々の存在」なのではないだろうか。

 2-2.敵である女王達にとっての「ゆたかさ」

セーラームーンは初期・R・S・SS・スターズという5期に分かれており、その時々で敵対する勢力が異なっている。ここでは敵対する勢力の女王として登場する初期のベリル・スターズのネヘレニアにとっての「ゆたかさ」を考えていく。

うさぎ達の前世は月の王国の住人であり、衛とベリルの前世は地球にある王国の住人であった。秘かにプリンスエンディミオン(衛の前世)に恋をしていたベリルは、その恋心を黒幕に利用されて暴走し、月の王国を破滅させた。
転生したベリルも他の登場人物と同様に前世の記憶は失っている。けれど、潜在意識の中でエンディミオンを求めているようで、物語の後半で衛を操り配下にしている。
ベリルにとっての「ゆたかさ」は「最愛の男性と共にあること」なのだろう。

ネヘレニアは若く美しい女性の姿をしている。しかしそれは仮の姿(心が蝕まれる前の若き頃の姿)であり、真の姿は老婆でジルコニアと名乗っている。
ネヘレニアは永遠の若さと美しさを求め、月の王国を支配しようともくろむ。だが、エリオスという少年にそれを阻まれ、鏡の中へと封じた。そうしてセーラームーンと敵対することになる。
ネヘレニアは年老いた自身の姿にジルコニアを名付けているが、それは老いた自身を否定しているからだろう。別人と思い込みたいのだ。
そんなネヘレニアにとっての「ゆたかさ」は「若さと美しさ」なのだろう。

3.わたしにとっての「ゆたかさ」

かつてのわたしにとっての「ゆたかさ」は1-4.の文中に記載したように、「高い地位と名誉により得られる幸せ」が「ゆたかさ」の象徴であった。
今はそこまでの貪欲さはないけれど、恋愛や結婚において「運命の人」を求める姿勢は変わらない。

そんな今のわたしにとっての「ゆかたさ」は何なのだろう。他者の「ゆたかさ」と比較して感じたのは、わたしは他者よりも「ときめき」を重んじる傾向にあるのかな、と思った。
母・父・友人M・A先輩・友人Sの「ゆたかさ」はわりと現実的でありわたしでもすぐに叶えられる可能性があるものの、そうなりたいと思えない。
でも、「運命の人」と出会えてその存在こそが「ゆたかさ」であるうさぎには憧れる。また、弟やベリル・ネヘレニアには共感する部分がある。

前者になくて後者にあるのは、「ときめき」。ベリルが憧れうさぎが実際に手にした「運命の人」と居られれば、日常が華やぎときめくだろう。弟やネヘレニアのように理想の自分でいられる時もときめきが止まらない。

つまり、わたしにとっての「ゆたかさ」とは「ときめく」こと。わたしはこの広い宇宙の中に散らばるときめきの欠片を探して、日々生きている。

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