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10年前のあの日

こんにちは、ウチダユメミ(@yumemi_uchida)です。

本日、2021年3月11日。
あの日から10年。

早いような、いろいろあったような。

あの日に起きたことから
あの日以降のこと、
ちょっと振り返ってみようかな、と。

あの日。
私は30歳で、フリーランスでやってたのですが、
あの日はオフで、16時に整体の予約を入れてたので、
シャワー浴びて出かけようかなとしてた。
脱衣所にいる時にめちゃくちゃ揺れたのでした。
服を着て、家の奥から急いで玄関から道路へ飛び出て。

揺れがおさまるまで塀にしがみつきながら
体験したことのない揺れの中、
「日本、終わった」と思った記憶。

その時、私は浦和にいたのですが、
後から知った震度は5強だったはず。

揺れがおさまって、茶の間に戻ってテレビを付けて
起きたことの重大さを知り、
東北の惨状が伝わってきて
怖くて怖くて、涙が止まらなかった。

それから、間も無く計画停電が始まり、
演奏の仕事もなくなり、
レッスンをしてる場所も計画停電や安全確保の為に閉鎖され、
音楽の仕事は無くなりコンビニのバイトのみ。

ビジネス街のコンビニの朝バイトをしていたのだけども
間も無く、朝から買い占め行動をする客が増え。
県庁で働く人や近辺のビジネスマンががランチを買っていくような場所でした。
買い占めする年配の方に限って袋詰めにクレームを付け、
ただでさえ長蛇の列になるレジはめちゃくちゃ長蛇に。
こういう状況に人間の嫌な部分もたくさん見た気がします。

震災直後、直接的なダメージを受けていなかった関東でも
買い占めによって、赤ちゃんに必要な水が確保できず、
困っている友達の話を聴き、
役所から配布される水では足りない双子を抱えてる方がいたり、とか。
コンビニ店員であることを利用して(?)
ミネラルウォーターが入荷されると、買い占められる前に
そういう友達に発送してました。
もしかしたら、買い占めをする人の中にも
本当に必要で買い占めてる人もいたのかもしれないけど、
その当時はその当時の自分の正義感で動いてた気がします。

その当時、
やたら「ボランティア」や「チャリティ」という言葉が
氾濫、乱用されたことに懸念、危惧しました。
それ自体は素晴らしいことだと思うのだけど、
演奏する場がなくなってたアーティストに、ボランティアという名のもとに
無給で演奏することを強いてる図もなんどか目撃したし、
それをしないことが悪みたいな雰囲気だったり、
そして、気負ってる人も目の当たりにしました。

本震からの数日間は
海外の友達から心配してメッセージがよく届いてました。

地震からしばらくは
テレビから流れてくる映像に感情移入してしまい心もものすごく疲弊したのを覚えてます。
しばらくは地震酔いもしてて、楽器を吹く気にはなれなかったけれど、
楽器を吹いてみたら、逆に元気が出たのも覚えてます。

直接的な被災地ではなく
無事でいる自分は元気に生活を営んでいかないと
世界は止まってしまうなと思った記憶。

風化させてはいけないとはいうけど
あの日のことは忘れられないです。

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