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Y字路のトーストサンド

無性にサンドウィッチが食べたくなるときがある。
トーストした食パンでつくるシンプルなハムサンドが食べたい。今すごく。
三好銀さんのマンガを読んだからだ。

三好銀さんのマンガは、日常の中で出会うちょっと不思議なできごとや登場人物の淡々としたやりとりがここちよくて、その世界観にふっとまざりこんでみたくなる。

作品を知ったのはとあるカフェの本棚からだった。
そのこじんまりとしたスペースには美術概論的な本や哲学書のようなものが数冊、マンガは三好銀さんの作品だけだった。同じ作品がなぜか三冊あった。あのとき読んだ「三好さんとこの日曜日」はすでに絶版になっていて、読みたくなるとあのカフェに通った。

三好銀さんが亡くなられたというのを知ったのは、「私の好きな週末」が発売したばかりのとき。書店に平積みされていた帯には「追悼」とあった。
三好さんと関わった色々な人が寄稿した文章も載っている。ほんの少しのエピソードからも人となりが見えてきて、作品の淡々としてユーモアのある世界観は三好銀さんそのもののように思えた。
あれから数年経つけれど、今でも作品を何度も何度も読み返してちょっぴり切なくなったり、登場人物たちのシニカルで軽やかな視点に憧れたり、と毎回新鮮に楽しんでいる。

で、また読み返した。
食べたい。
「私の好きな週末」の一編に出てくるトーストサンドが食べたい。

お見舞いにきた女性が患者の横でハムサンドをつくって、コーヒーと一緒に食べている。
患者は食べない。
女性が一人で作って一人で食べているのを患者の視点から描かれている。
同室の患者に借りたアンティークのトースターでパンを焼いているところから、お皿がわりの封筒を折りパンくずまで残さず口に流しこむところまで、一連の動作はなんとも合理的でムダがない。
食べっぷり、というより作り出してから食べ終わるまでの流れすべてが見事なのだ。
同室の患者も彼女の食べ方にほれぼれと見惚れている。

おいしそう。
ああ、食べたいなあトーストサンド。彼女みたいに作って食べたい。
トースターはないけど、……あとやっぱり自分で材料揃えて作るのが面倒だ。
本当は「作る」ところから真似がしたいけれど、以前は住んでいたところの近所に理想通りのハムサンドがあって、「食べたい」という欲求なら満たせていた。
そこは昔ながらの喫茶店だった。
 Y字路の三角形部分にあるその喫茶店は、日が暮れかかった住宅街の中そこだけがあたたかな光を放っていて私を誘っているようだった。
店内は広く、ご近所の常連さんらしき年配の男性が点々と散らばってみんな静かにスポーツ新聞や文庫本片手にコーヒーを楽しんでいた。
流れるジャズとそっと紙をめくる音、パンとコーヒーの香ばしい香り。
とても居心地がいい。
店の前に立てかけられていた写真付きのメニューからすでにトーストのハムサンドと決めていた私は、迷わずそれを注文する。
4つにカットされ、絶妙なバランスで盛り付けられたそれ。
あわい黄金色に焼かれたパンは厚みがあって、あいだにハムのピンクときゅうりの緑がそれぞれまっすぐ線を引いたみたいに並んでいる。潔くシンプルな断面。
これこれ、これだよ。これが食べたかったの。
さんざん鑑賞してからようやく口に運ぶ。
表面のさっくりから生地のふんわり、そこにまろやかなマヨネーズ、しゃっきりとみずみずしいきゅうりにハムの塩っけ。
これですよ!
そう言って店主に握手を求めに行きたくなるくらいに、思い浮かべていた通りのハムサンドだった。
夢中で「ザクザク」食べながら、あいだに「ぐび ぐび」コーヒーをはさむ。
彼女のトーストサンドもこんなふうにおいしかったんだろうなあ。
思い出したらまた食べたくなった。
今は違う県に引っ越してしまったから気軽にふらっと立ち寄るなんてもうできない。
そう思うとより恋しくなる。
食べたい!あの居心地のいい空間でトーストのハムサンドを!
 
ちなみに三好銀さんのマンガと出会えたカフェもY字路のあいだに建っている。いつ行っても、開店しているのか、そもそもここはお店なのか?人の家ではないのか?私はここにいていいのか?と不思議に気持ちになる店だった。そんな独特な居心地の中で読む三好銀さんの作品はより面白く思えた。

不思議なカフェと、近所のおじさまが集う落ち着いた喫茶店。
全然雰囲気も違うのに、私は勝手にその二つの店に親和性のようなものを感じていた。
いつかまた旅行にできる環境になったら絶対にどちらの店にも行こうと決めている。
はやく行ける日が来るといいな。

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