まっすぐな道

前回では 私たちが帰るべき所、つまり

この人生という旅の、目的地は「天国」だと言いました。

「天国」

なかなか、いい響きだと思いませんか。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんにちは ファーティマ松本です。


私が個人的によく思い描いているイメージというのがありまして、、


まあ、私の妄想にあまり興味のない方も、

すみませんが

ここは、ちょっとこらえてお付き合いいただきたい。


こーんな感じです。


私たちが産まれる前


神様は

「さあ、行っておいで。大丈夫、いつも近くで見守っているよ」

と、背中をそおーっと押してくれました。



産まれた後


神様は

「さあ、こっちだよ。こっちの道だよ」

と、私たちのほんのすこし前で手を広げてくれています。


その方向からは優しい光が溢れていて、神様の顔を見ることはできません。

けれども、そっちへ行けばいいんだ

という安心感をいだかせてくれます。


と、まあこんな感じのイメージなのですが、

うまく伝わりましたでしょうか。


自分の子供がヨチヨチ歩き始めると、

親はもう!嬉しくって嬉しくって

「ほら、こっち、こっち」と

手を広げて、子供がやってくるのを待ちませんか?

一歩、二歩と歩く子を見ながら、笑顔がもう溢れんばかり。

そうして、子供が無事にたどり着いた時には

ギューと抱きしめたり なーんてしちゃいますよね、フツー。


神様は、その親以上に 強く 深い 愛情をもって

私たちの帰りを待っていてくれています。


神様が待つ「天国」へ繋がっている道

それは、アラビア語で「シラータル ムスタキーン」

直訳ですると「まっすぐな道」です。


天国へ続く道は、そう!

そのまっすぐな道

その道一本 しかありません。


ですから、この”人生の旅”において、何よりも大事なことは


『その道に乗っかっていること』


『その道から、外れないこと』


なんです。


私たちイスラム教徒は、1日5回ある礼拝の中で、神様に何度もお願いしています。


「その”まっすぐな道”にお導きください」 と。


一体、一日に何回その言葉を 礼拝の中で唱えるか、、、

ご存知ですか。


17回です。


17回も?

という感じがしますが、これはもう最低レベル。

もっと、もっとたくさん礼拝をしている人は、

もっと、もっと、たくさんこの言葉を唱えているわけです。


「その道の上にいる」 ということが

なんで、そんなに大切かは


また次回。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アマゾンから電子書籍第2弾発売中!

『神様に一番近い人の頭の中身』

”この世が生きやすくなる20の話”

モヤモヤさんからすっきりさんへ

http://www.amazon.co.jp/dp/B09RVTR2ZM

幸せとは、

成功とは、

生きる意味とは、

神様からのいいねボタンとは。



そして、電子書籍第一弾は、こちら!

「イスラム的現世の歩き方」

http://www.amazon.co.jp/dp/B01HQB2VPW/


イスラム的 人生の処世術!

あなたは何のために生まれ

何をして生きていけばいいのでしょう。

人生の目的は?

たまーに日本に帰る交通費に使いたいです。