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多様性と言う勿れ

昨今、色んな場面、場所で、
「多様性」という言葉を耳にする。

多様性は様々な価値観、
「考え」を受け入れていく、
誰も色物眼鏡で見られない、見てはいけない
生きやすい社会への始まりだと思う。

しかし、この多様性が溢れ出すと、
生きにくいことも
生じてくるのではないか?
と思う。

30代半ばにして独身、子なしの私は
都市部に住んでおり、
「結婚は?子どもは?結婚した方が良いよ」
なんて言われる機会はない。

もちろん両親や、
田舎に帰れば周囲から多少は言われるが、
職場や、都心部で出会った人々から
言われることはない。

この状況は
私にとっては
生きやすい。

でもこのままで良いのだろうか?
とも思う。

今、自由気ままに旅をしたり、
やりたいことをやっている。
全て自分の時間だ。

とある番組観覧に参加したとき、
たまたまテーマが「少子化」だった。

日本の人口が1億人を割る事はもう決まっており、
今後どのように人口減少をふせいでいくか?

という討論番組、
名だたる元政治家、コメンテーター、教授が
揃っていた。

そんな中、観覧者の一人である私は
この番組が好きで休みをとり、
収録場所が関西だったため
関西に宿をとり、サウナへ行き、
大好きなこの番組の観覧に参加していた。

30代半ばの女性は周りをみても
ほとんどが結婚しており、
子どもがいる。
子どももまだ小さいため、
子育てに奮闘している。

その番組内ではどのように
少子化をとめられるか?を
熱く語ってはいるが、
誰一人として私に
「結婚して、子どもを産みなさい。」
なんていう人はいない。
そんな事を親族以外の誰かがいってしまったら
セクハラにも値するだろう。

番組に出演している女性も
結婚してはいるが、子どもがいない者、
未婚で子どもがいない者もいる。

少子化をいかに食い止めるか?について
熱く語っているのに、
目の前にいる「子なし」には
どうして子をもうけないのか
理由はきかない。

いや、聞けない。

それは多様性の受け入れでもあり、
聞いてしまったらセクハラにもなる。

このような状況を少し
不思議に思った。

多様性はいい事だ。
私のように、人とは違う道を選んでしまっている人からしたら
なんと生きやすい社会になったのだろう
と思う。

しかし、どこか寂しさもある。
多様性を求める人の中には
他人から言われることで拓かれた道もあったのでは?
とも思う。

例えば、番組観覧にいって
演者から
「君は、どうして番組観覧には来て、結婚、子どもはいないのかね?
少子化がこの国は深刻なんだよ」
と言われれば、
もしかしたら、考え方が少しは変わるのかもしれない。

しかし、そのような事は絶対に言われない。

多様性の世界が拡がる中で、
なんでも多様性で片づけるのは
ある意味、誰かの世界をせばめているのかもしれないし、
人に何も言えない状況を作ってしまっているのかもしれない。


多様性のおしつけには注意したいと思う。



多様性と言う勿れ。

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