トヨエツと母。

先日、Netflixで話題の『地面師たち』を一気見した。
話題になる要素はこれでもかと散りばめられているが、中でも役者陣たちのハマりっぷリがとても印象に残る。

豊川悦司(以下、敬意を込めて敬称のトヨエツと表記させていただきたい)演じるハリソン山中の存在感は群を抜いていた。どこかで真似をしたくなるような風貌や喋り方。キャラが立っていて忘れ難い。

そんな渦中の中Threadsで『地面師たち』のトヨエツと、『愛していると言ってくれ』のトヨエツを並べる画像の投稿を見かけた。年の重ね方に色気を漂わせるそのトヨエツの存在を比較考察する意図がある投稿だった。

https://www.threads.net/@sick_sugano/post/C-7gqoAvtnm/?xmt=AQGzyyrDZE6YlArGOceHx8JiZgxLbN91qkWcB3prqOKK9g

この投稿を見ると
「そういえば『愛していると言ってくれ』なんてあったなあ」と懐かしい気持ちになった。

1995年の7月7日から9月22日の間にTBS系列で放送されていたドラマだった。
当時の私は9歳から10歳だ。どのように過ごしていたのか、ほとんど記憶がない。学校から家に帰っては習い事のスイミングをする以外はTVゲームばかりしていた、どこにでもいる男の子だった。

しかし当時の記憶がないはずなのに、微かに残る記憶というか、記号のように印象に残っていることを『愛していると言ってくれ』というワードがこのタイミングで引き出してきた。

微かな記憶に残るのはお袋がこのドラマに熱視線を注いでいたことだった。

ミーハーな母はとにかく世間一般がトヨエツへと注ぐ熱視線と同様のものを注いでいた。
良くもまあこんなにハマれるなと子供ながらに感心していた記憶があるが、半ば強制的に母と一緒に見ることになるテレビドラマは9歳の男の子にドラマの全てを理解することは出来なかったが、トヨエツと常盤貴子が醸し出すその関係性や容姿が時代を掴むに相応しいサムシングだったことはなんとなくの理解と把握をしていたように思う。

翌々年には同じくTBS系で『青い鳥』が放送された。
『青い鳥』も主演はトヨエツだった。
『愛していると言ってくれ』のヒットの影響もあってか制作の予算が増えていたらしい。

一転して不倫と逃避行を描いた作品だった。
やはり母はテレビに熱視線を注いでいた。
なんで不倫なのか、なんで逃避行なのか、子供の私にはわからないなりにやはり主演のトヨエツにはブラウン管から溢れてくる色気があったという記憶が残っている。そして佐野史郎の芝居が怖すぎたことは子供ながらにやたらと印象に残る。主題歌のglobe「Wanderin' Destiny」は刹那が匂い、やっぱり耳に残る。それでも母と並んで小さなブラウン管で何故これまた二人で仲良く見ていたのかが思い出せない。それもそのはず、まあまあ親子二人で狭いリビングで見るには気まずい作品ではある。それでも母はトヨエツに対する抑えるきれない熱視線に私を付き合わせた。私も嫌ではなかったのか、従順に『青い鳥』を見ていた。母のトヨエツに対する熱視線とそれに付き合わされる11歳の子供の画は想像するになかなかにおかしい。

スターとはそうした市井の一般家庭から熱視線を注がれる人だ。
『地面師たち』のトヨエツも母が生きていれば、おそらく一気見して熱視線を注いでいたんだろうなと思わせるものだった。
『愛していると言ってくれ』と『青い鳥』を母に付き合わされて見ていた子供時代を思い出す熱気。
『地面師たち』に限らずとも、母が生きていればあんなドラマやあんなテレビに、あの音楽に夢中になって楽しんでいたんじゃないかと思わせるものが時折ある。ミーハーだったから熱視線を注いでいたスターがたくさんいた。スターが長く表現活動をしていてくれれば、一緒に歳を重ねて、それを味わえる。生きていくことの特権のようにも思える。

そんなことを30年の時を経過しても、かっこよく歳を重ね、存在感を増しているトヨエツを中心軸にすることで考えることが出来た。
歳を重ねながら表現をする俳優と、歳をとる視聴者。

この役者の続きが観たい、歳を重ねても感じる円熟味を感じたい。
そう思う理由だけでも生きる理由になる。長生きしていきたいという理由になる。

可能ならばお袋と『地面師たち』をリビングのテレビで見たかった。
きっとトヨエツに熱視線を注ぎながら、綾野剛にも夢中になっているのは容易に想像が出来るのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?