散々の果てに見えた下山と着地
11月は散々だった。
どこに着地が向かっているのかよくわからないことが多かった。
ネットで少し騒がれた事案の当事者になっていて、それを「とんでもないことになっているな」と当事者なんだか、傍観者なんだかわからない位置付けで眺めていた。まあ限りなく当事者の心境だ。当事者だから知れば知るほど迷宮入りするのよね。俺はどうなるんだよ!?の思いが強かった。
こういう時に占いに頼ったり、縋ったりするのもどうかと思うが、11月はあまりいい流れではない月だったらしい。占いは信じる、信じないという二元論で使うのではなく、ちょっとしたガイドブックのようなものだと思っている。「そう言われればそうかもしれない」という理由が欲しくて、そう言われればそうかもしれないと思い当たる節がまあ沢山ある月だった。本当に色々あったのよ。
そうして12月に入ると、ある一つの事案に対して一旦の着地点が見えた。
それは一旦の着地点としか言いようがないものである。山頂に登るというより、下山のコースが見えたと言っていい。
どこを歩いているのか分からない山に、GPSでも全く位置情報が把握されない地図に下山のコースが見えたのだ。
勇気ある下山。そんなにいいものじゃないけど、火口に突入して死ぬよりよっぽどマシ。
これが本当にホッとした。
この世には入り口が用意されているものは沢山あるが、出口が用意されている保証は案外ないらしい。
テレビゲームをプレイして、エンディングに辿り着けずに止めてしまうクソゲーの如く。
全くエンディングが見えない11月だった。
また難易度の設定も自分で選べなかった。ゲームによってはEASYモードからNORMALモード。HARDモードと様々な難易度設定が出来るが、これはいわゆる無理ゲーだった。そもそもゲーム内のロジックが破綻してるじゃないかとなった。
それが12月に入り、一旦の着地を迎えた。
あっけなさもありながら、それでも安堵の気持ちが強い。
着地が見えないことは怖い。
逆に言えば着地点があればどこまでも迂回出来る。
プロレス・格闘技で言えばフィニッシュで、フィニッシュ出来る技やそれに至る過程を自分の中で思い描いていればどんな闘いにも打って出れるのだと思う。
だからフィニッシュホールドを持っている人は強いし、そこに説得力を持たせられる人は全身からオーラとして何かが放たれるのだと思う。
フィニッシュホールドがない企画、着地点がない構造と編成。
何故、自分がここに迷い込んでいたのかはよく分からないのだけども。
それでも思った以上にグラついてない自分がいたのもビックリだ。
もっとグラついてもおかしくないが、スクワットを日常的にやれているからか、自分の足場はどっしりしていた。
「いい経験になった」という着地点にするにはあまりに容易過ぎる。
いい経験以上に、これを呑み込んで、次に行ってやろうじゃないのよ。
回収するもの、回収して次に行こうじゃないのよとなっている。
人間は着地点が必要なのだと分かった。収穫だった。
だからまだまだ個人的に着地していない案件が沢山ある。
フィニッシュが見えるだけで創作出来るものも沢山ある
途中まで編集していたけどフィニッシュが見えてないものがあるから、フィニッシュが作れたら過程も見えてくると思った。
霧がかかった11月の先に、これまた慌ただしそうな師走が待っていた。怒涛になると思う。
険しい道を彷徨っていたから筋肉がパンパンだ。また強くなったんだなと思う。
この筋肉を携えて2023年のフィニッシュを迎えようとしているんだな。
あー、楽しみだな。着地点をあらかじめ用意しておく、把握しておくという大切さを知ったわけだから。
まずは自分に「お疲れ様」と言い、回転寿司のイカを食べながら、ハイボールを飲んだ。
ハイボールはいいフィニッシュホールド。プロレスの大先輩、高岩竜一さんが教えてくれた。
この回、フィニッシュ。