言葉を選びすぎてコミュ障のレッテルを貼られる

「口を開くたび毒吐くよね。」

そんなつもりはない。むしろ褒めているんだが。恐らく私は相手が傷付かないように言葉を選んでるのではなく、自分が傷付かないために、一番絶妙な言葉を選んでいるのだろう。私はよく言葉を発する前に笑ってしまうのだがこれは、自分が頭の中に浮かんだ皮肉が傑作すぎて口には出せないが思わず笑ってしまう。といったことで、周りからは不気味に見えるだろう。いかにも保身的で自己中なクソ人間だ。

他人の評価を気にしすぎるとこうなる。

ただ一概に悪いとは言えない。もちろんすぐに言葉が出てくる人は、頭の回転が速く見えてカッコいいが、言葉につまる人間の方が信用に値する。と言った人もいるだろう。もちろん私もそうだ。

言葉を選びすぎる人間は恐らく、「他人に解ってもらいたい」と言った気持ちが強すぎるのだろう。そしてきっと人の気持ちも考えすぎる。

理解できるわけがない

他人のことを理解することも、自分のことを理解してもらうことも無理だ。なぜなら私たちはコミュニケーションを、文字という無機質なもの変換して壁を作ろうとするから。要は逃げだ。

多分そういった人たちに足りないのは、頭の回転の速さや語彙力ではなく、笑顔声のトーンなんだと思う。録音した声を聞けば、親を亡くしたかのような暗い男が現れ、鏡の前で自然な笑顔を作ろうとすると、顔が引き攣る。

コミュニケーションというものは言葉のキャッチボールではなく、共同で空間を作ることなんだと思う。

言葉なんてなんでもいい。もしそれにトゲがあったなら「失言だったね」と笑えばいい。政治家のように。そうやってちょいちょい人を傷付けていけば、副産物として自分が傷付くことも怖くならなくなるんじゃないのかな。多分傷付くことの方が多かっただろうから。

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