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私たちの未来と人付き合い

どうも。
仕事を辞めるのは6月にしたい「つきのくつした。」です。
おはようございました。

先月、「あなたの人生とは」という記事を書きました。
結構自己主張が激しいことばっかり書いてるので、読者のみなさんはそんなこと言われても……。なんて思っているのでしょうが。

さて、今回も自己主張の塊ですが、自分の世代の生きて行き方について焦点を当ててみました。
皆さんはどのように捉えているでしょうか。今の自分の立場や生き方について。

今からいうことは、そんなことないと思ってない!と反論したくなる人が多いかもしれません。

けど僕は思うに、大体の人が「〇〇がやってるから。親がそうだったから」という根深く残った「あるべき論」が知らない間に形成されて、それが正しいと信じて生きてるんじゃないかなって。
僕もつい最近までその一人でしたし、多少意識が変わったところで、100%人にそのあるべきを押し付けていないか?というと、そうではないと思います。(特に酔っぱらったらひどい)

ここで自分の世代をどう定義するか。

先に言っておきますが、これは私見です


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「年功序列と自分主体に挟まれた世代」

(なにそれ………)

今サラリーマンをしている、私の世代に近い人は、上司が「団塊ジュニア世代」と呼ばれたりする世代なのではないでしょうか。
学力がないと世の中ではいい企業に入れないから勉強しろ!と親に叱咤されながら勉学に励んだのに、バブル崩壊で不景気が就職の時期に重なり就職難やリストラなどに怯えながら、サービス残業をする。

下手な仕事をしたら怒られるし暴力なんか当たり前。自分を守るためには、社会の序列に従いながら、自分を殺すことで生きてきた。

そんな世代の人たちに僕は気に入られがちです。
何故かといえば、そういう苦労を酒を煽りながら楽しそうに話す彼らを見ていて、楽しめる特殊性癖があるからです。(というか自分も、社会に出て働くということは当たり前である!という考え方は嫌いではないです。)

僕が入社したとき、びっくりしたのはそういった話になりがちな「飲み会」に行くのが、ほとんど自分だけしかいないこと。

学生時代から色々なアルバイトをして、経験をしていた自分は行くのが当たり前なのかな?と思っていたのですが。
僕の同期や下の世代からしたら「プライベートの時間をどうして行きたくもない、聞きたくもない話を聞くために行かないといけないの?」ということでした。

間違ってないんですよね。言ってること。そんな義理はないってのはわかるんです。

こういった世代は、先述の団塊ジュニアの世代が駆け込み出産とかで生まれた数少ない世代なのかなぁと思ってます。

不景気故に、一人っ子が多い。
一人っ子っていうのは、親に全部の愛情を注いでもらってます。
兄弟がいる家庭より、我慢することがなかったんです。
そして、その鬱憤は発達したコミュニケーションネットワークに簡単に吐露できた。共感を得られて、自分の行動について考えることすら少なくなっていった。

そういう人たちが社会に入ったらどうなるか?

自由な選択をします。
さきほどの飲み会もそうですし、仕事が合わなければやめる。自分にとって一番いいものを探す。
多少悪く聞こえがちですが、彼らもまた働き方や生き方に対して悩み考えているのだと思います。

そういった側面は客観的に見たらいいことであり、上の世代にとっては考えられないこと。

そして僕は、社会人でいうところの中堅と呼ばれる世代となりました。

挟まれてるんですよね。ぼく。

挟まれているなぁと感じたのはこれから話すことがきっかけでした。

私の会社はユニオンショップ制と呼ばれ、必ず労働組合に入らないといけない制度があります。その労働組合にも色々な部署があり、代々「青年部」というものが発足されていました。

当然、青年部の活動を行うのは、会社の社員として当たり前ということもあり、入らない活動しないという選択肢はない状態でした。

僕は青年部リーダーをしていた時期もあり、後輩からよく相談を持ち掛けられたのですが、ある日「今年の新入社員が、青年部を辞めたい!」と言って聞かないのです。との相談を受けました。

そこで、社会人として足並みを揃えることや、縦や横つながりのコミュニケーションを取ることで、今後お互いに助け合うことができるようになるよ!と説得を試みたのですが虚しく……。説得できませんでした。

最初は論理的に、青年部の過去の資料をどこから探してきたか知らないが、「必ず所属する必要性はないですよね?」という穴をついてきたり。
最後には結局半泣きで、「遠くから、この会社に来て仕事でタダでさえ悩んでいるのにこれ以上しんどいことはしたくない!」って言ってきたり。

元から、よっぽど嫌がられたら認めよう、ということにしていたので、その人には辞めていただくことにしました。

でも今となってはこう思うのです。

今後お互い助け合う仲間を作る前に、そもそもしんどかったら仕事やめる、っていうスタンスだったのかなって。

なぜなら、今は売り手市場。お金の稼ぎ方も多種多様になってきました。
自分のやりたいことをお金に換える手段がたくさん増えてきたんです。
だから、わざわざ嫌な職場に留まる必要がなくなってしまった。
ということもあるのかなって思います。

そして、そんな新人に翻弄される上司たちは、言いたいことがあっても気を使って何も言わなくなりました。
(ぼくにはキレるのに( 一一) )

これって良いこと?悪いこと?

もう判断はできない時代になってきているのかな。そう思います。
だったら、これからそういう新人の面倒を見ながら、上司の期待にも応えていく。そんな世代なのが僕たち、「挟まれた世代」なのではないでしょうか?

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「ぼくたちはどうしていけばいいのか」

そんな悩みを抱えて生きていく中で、僕がたどり着いた答えは、

考えることを放棄せず、常に自分にとって一番を選択すること

新人と似ていると思いますけど、「自分にとっての一番」を選ぶというのが、これからスタンダードになると予想されている中で、わざわざ昔のようにがむしゃらに生きる必要はなくなっていると言わざるを得ません。

じゃあどういうこと?

それは「自分にとっての一番」が可変であることに気が付くことです。

常に自分中心に一番を決めることは、社会に出たときに淘汰される可能性が高まると思うんです。

僕の一番は生きていく中、人との関わりを断つことはできない現代で、挟まれることを受け入れながらも上手に生きていくこと。

「架け橋」になること。

ただ、それでは両端からくる荒波で崩壊しかねない。
つまり、こう生きていく!と決めるのではなくその時その時で柔軟に生き方を変化させていく。自分のストレスを減らしながら生きるんです。

僕の今のスタイルは、

上が苦労していることは、率先して解決する。飲み会があったら必ず参加して、楽しく自分の話をしつつ、その人の話を聞く。(飲みたいだけ)

下は悩んでいても、黙っているので、こちらからどうしたの?と聞いてみたりする。そして何か手伝ってもらったらありがとうと必ず感謝する。

そして何より、夢を持つこと。
自分がやりたいことは、時間がなくてもやること。

この感じって、まだまだ昔気質の芸能界とかでは、必要なスキルなんじゃないでしょうか?声優になりたい人とか。

一握りの運だけじゃなく、自分自身も高めながら確実に夢を叶えていく。そんな生き方を僕は目指しています。

自分のやりたいことはこの「夢波サロン」に詰まっているので、しばらくは頑張って生きて行けそうです。

とりあえずこんなところです。

皆さんも自分のこれからについて、考えていきませんか。

つきのくつした。


テキスト:つきのくつした。
編集:菊地 和俊

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