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映画版『CATS』すごいので観て。

酷評に次ぐ酷評でそれだけが一人走りしているような『CATS』。
確かに猫人間のビジュアルが。。。という人もいるとは思うけど僕自身すごく気に入っていて思う事もあったのでお勧めしたくてこんな文章を書いている。

まずはあらすじ。

あらすじ
満月が輝く夜。若く臆病な白猫ヴィクトリアが迷い込んだのはロンドンの片隅のゴミ捨て場。
そこで出会ったのは個性豊かな 〝ジェリクルキャッツ〞 たち。ぐうたらな猫、 ワイルドな猫、お金持ちでグルメな猫、勇敢な兄貴肌の猫、不思議な力を持つ長老猫…様々な出会いの中でヴィクトリアも自分らしい生き方を見つけていく。
そして今宵は新しい人生を生きることを許される、たった一匹の猫が選ばれる特別な夜。
一生に一度、 一夜だけの特別な舞踏会の幕が開く。(Filmarks)

この先の文章内で「劇場版」は実際に劇団四季などがやってるミュージカルで「映画版」を本作という事にします。少しややこしくてごめんなさい。

僕の感想を端的に言うと「映画的な手法を用いて劇場での経験を多くの人に届ける映画」。

初めに断っておくと、この映画のプロット自体はすごく複雑なものではなくて、あらすじのとおり個性豊かな猫たちが新しい人生(?)を許される一匹を選ぶために各々歌とダンスで自己紹介をしていく。というだけのものでほとんどひたすら歌、ダンス、歌、歌、ダンス、セリフ、ダンス、ダンス.......
と繰り返されていく。その中で猫によって見せ場は色々だが純粋に歌であったり、ダンスであったり、芝居であったり、おおきく作られたセットの中で遊びまわる様子だったりが目まぐるしく変わっていくのを楽しむ映画だという事は頭に入れて鑑賞して欲しい。

そこに、劇場版では主に歌 or ダンスが主な楽しみ方だったところに、セットの中での躍動や(具体的に言うとマンゴジェリー&ランペルティーザのパート)、ダンスであってもより細かいところがフォーカスされる(スキンブルシャンクスのパート)など映画でしか表現できない楽しませ方を新たに組み入れている。特にスキンブルシャンクスのパートは足のアップや、シーンがシームレスで変わっていくような映画版ならではの表現が多く組み込まれていて中盤のクライマックスになっている。(劇団四季のこのパートの演出もうろ覚えながらとても印象に残る素敵なものだった記憶がありますが。。。)

このような見せ場を増やすことで、ダンスシーンを引き目で撮り続けるようなある意味退屈なカットの連続にせずに、ダンスだけではない猫たちの躍動感を表現しているのだろう。

このように、映画ならではの表現を加えてよりエンターテイメント性を高めた一方で少し気になるのはリアクションのカットの多さだ。ネコが歌い始めたときに他のネコ(特にヴィクトリア)の顔のアップがとても多い。すこし気になるところだが正直に言ってこのカットが無いと少し間延びしすぎてしまうような気がする。また、各猫のパフォーマンスが終わった後に得られる感情は喜び、楽しみ、可笑しさ、凄み、感動、恐れ、など様々であるためここでリアクションのカットがあることはそれを端的に伝える手段としては良かったのではないかと思える。さらに言うと劇場でCATSを鑑賞する経験はほぼ絶対といって良いほど一人ではしないものだろう。しかし、この映画はDVDや配信が開始した際に家で一人で鑑賞することは大いに考えられる。演劇で鑑賞者が多数でその空間を共有することによって得られる感動というものが有りそれを伝えようという意思があるように思えてならない。

そのような感覚が確信になるのは”ある猫”が選ばれて天井に登った後の4匹の猫(ヴィクトリア、ミストフェローズ、マンカストラップ、オールドデュトロノミー)が銅像の上に乗るシーンである。このシーンは基本的にオールドデュトロノミーが主にカメラに向かってなんと観客へ語り掛ける。カメラを通しスクリーンやディスプレイを通したうえでさらに時間的にも差異がある空間を繋ぐべく語り掛けるのだ。これは明らかにただの映画では無く劇場をそのままスクリーンを含めて様々な媒体で再現するための映画にしているのだと気が付きとても感動した。

極東の島国に居ながらにしてロンドンやニューヨークの舞台での感動を疑似体験できるとは。しかもそれが地方都市の映画館で。

先日、地方で演劇をやる・観る事に関するシンポジウムに参加したが特に地方では演劇に触れる事すらない現状が話題になっていた。例えば都市部であれば学校の芸術鑑賞会などで劇場に出向き演劇と触れる機会があるだろう。でもそのような機会を地方でも確保するのはとても難しい。そもそも演劇を観たことない層が演劇をやろうと思うのはあまりにも難しく地方の小さな劇団は若い、特に男性の役者が全然いなくて劇を作るにしてもそのような役がないストーリーにせざるを得ないらしい。

大都市に住んでいてNYであればブロードウェイに、日本であれば劇団四季にすぐにアプローチできる人々にはこの映画は冗談のように思えるかもしれない。でもこのような現状がある街で、ほんの少しだけでも演劇に関わった人として劇場をスクリーンを使って世界中に届けようとする試みはとてつもなく価値があるように思えてならなかった。

P.S.
日本語吹き替え版とオリジナルどっちも観たけどクオリティ的にはどっちも素晴らしかったです。(コーラスだけ少しオリジナルのほうが良いような気がしたけど。気がした。位。)字幕を全く観なくていい分、猫たちの動きに集中出来て吹替のほうが良いかもしれないですよ。見にいくときはご参考に。

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