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宗教の事

本を読もうとしていたら、チャイムが鳴った。

出てみると、知らない女性。保険屋か銀行か、父の仕事の依頼かと考えてると、彼女の口から私の名前が飛び出した。さらに高校の名前が出て、『後輩』だと名乗る。

部活に入ってなかった私に後輩はいない。
相談室には2人ほど後輩がいたが、どちらも男で女ではなかった。

「年は離れてるんです」

と言われて、ただ同じ高校だというだけで押しかけてきたのだと分かった。何周年かの記念で出したアルバムでも見てきたのだろう。名簿から名前の削除希望を出さなかったせいで、載せられて、いくつか変な勧誘が来るようになってしまった。

碌な用ではない。選挙……は今はないから、商品販売かと考えると一枚の紙が差し出された。

続く言葉が
「これはお守りにもなるんです。何かお困りの事はないですか」

紙には先祖がどうのこうのと言うようなことが書かれている。宗教……統一教会が真っ先に頭に浮かんだ。

しかし、彼女の口から宗教名が出る事はない。

「困りごとはないですか? 私もメンタルが弱くて、このお守りに助けられているんです」

だろうな。メンタル弱ってる時じゃないと、見知らぬ他人の家に訪問してまで布教しようとか酔狂な事をしたりはしない。

「結婚は?」
と聞くので、「出来ないので」と答えておいた。

間違ってない。私が結婚したいと思った相手とは、結婚が出来なかった。重婚も同性婚もこの社会では認められていないから(認めろという意味ではない)

彼女は嬉々として「それは困りごとにはなりませんか?」と言ってきた。さらに「ご先祖様も結婚を望んでいると思いますよ」と。

ご先祖さまたちの結婚は『家の繋がりと労働力と村の一員』だったのに対して、現代の結婚は『国が認めた夫婦』という意味合いで様々な規制が入っている。その制度の差を考えたら、ご先祖さまたちは別に何とも思っていない。仮にご先祖様が現代にいるなら『結婚制度が違い過ぎて意味不明』とすら叫ぶだろう。(現代は禁止されている)叔父叔母と姪っ子甥っ子の結婚も出来ていただろうし。養子や奉公と言う形で、子供を手元で育てない事も一般的だっただろうし。

話を戻す。

「はぁ」

と気乗りしない返事だけをしていると

「ここで私たちが会えたのも何かのご縁ですよ」

あなたがチャイムを鳴らして、私が出ただけです。私、昼間で寝てる時もあるので、『この暑さで眠れない』状態でなければ、今、寝てます。と思った。

乗り気のない私の返事に、彼女はやがて諦めて
「また来ますね」
と言って、帰っていった。


また来るのかなぁ。メンタルが不安定ならば、あっさりとこの活動もやめてそうだけど。こんな活動、メンタルが弱い人間がやると、心がやられるだけで良いこと何もない。

ネット上で好きに言葉を吐きだして、そこに食いついてきた魚にエサをばら撒いた方がまだ『漁獲』がありそうだけどな。←現代の営業方法。
戸別訪問は効率悪いし、漁獲も悪いし、良い印象を持ってもらえないし、悪手でしかない。


貰った紙に書かれていた言葉

『罪咎とは、三世の過去から未来に永遠に続く事である。
 それが、只導きをする事で消え去るのであります。
 何と有り難い事であります。』

調べたら『霊友会』というものだった。
ネットって便利。法華系……なのか。うち、たぶん親鸞様の浄土真宗だと思うので宗派が違うな。 違うからって何が違うのかよくわかってないし、そんなに信心深いわけでもないけど。おばあちゃんが「しんらんさま」を歌っていたから、そうなのかなとぼんやり思っている程度の信仰心。

『しんらんさまは すこやかに わたしのとなりにいらっしゃる♪』

だとずっと思ってたけど、調べたら

『しんらんさまは にこやかに わたしのとなりにいらっしゃる♪』

だった。歌詞を間違えて覚えるくらいの信仰心。すこやかってなんだ?? しんらんさまが健やかでどうするんだ。


お家の宗教ってたぶん、意識しないと思うのだろうけど。私は祖母の家に泊まるといつもこの歌を歌っていたので覚えてる。といっても、年数回程度のお泊りで小学校低学年くらいまでの事。よく覚えてるなーと我ながら思うけど、年少児ほど記憶の定着がすごいとも思う。年取った今では、書かなきゃ忘れると思って、なるべく書くようにしている。

無宗教だけど、無関心なわけではない。


ついでに、お守りなら、自力で作れる。
スピリチュアルな事は一通り目を通して、興味ある事は一通りやりつくしたから。

神様は『紙』なので、『文字を印刷したもの』でもいいけど……貰ったものは味気がないな。せめて人の手で書いたものか筆の書体にしたらいいのに。明朝体では味も素っ気もあったものではない。

さて、久しぶりにお守りでも折るかなと思った。

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