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オーストリアから帰って感じる、幸せな働き方ってなんだろう

※※この記事は1~2年程前に書いたものです。下書き保存したままになっていましたが、せっかくなので公開することにしました。※※

最近よく思う。幸せな働き方ってなんだろう。
オーストリアで働いてみて、前よりも一層その思いは強くなった。

オーストリア。ヨーロッパの西と東のちょうど間に位置する、小さなアルプスの国。その国で、私は約4ヶ月間働いた。

きっかけは、日本の会社での仕事の延長だった。
物心ついた頃からずっと、海外でいつか働いてみたいと思っていた。
チャンスは突然巡ってきた。

到着して、なぜだかわからないが、一気に肩の力が抜けた気がした。理由ははっきりとはわからない。あの国の空気が肌に合っていたのかもしれない。
友達とビデオ通話していた時にも言われた。「顔色が全然違う。前よりすごく明るくなった!」私はそれからというもの、日本と何が違うんだろうと、ひたすら考え続けた。そして湧き上がってきた思い、それは、「生きものを大切する姿勢」についてだった。

オーストリアの街を歩いていて感じる、それは、緑が多いということ。そして、何もかもがゆったりとしているということ。道ゆく人たちは、リラックスしている。それはゆとりがあるから。すぐそばに自然があるから。

そして、職場で感じたこと。それは、働いている一人一人が自分の能力を最大限に発揮しているということ。

日本で働いていて思う。なぜその人に合った場所で働いていない人たちがこんなに大勢いることか、と。以前の私もその一人だった。自分に合わない仕事、能力を発揮できない場所で生きるということがどれほど辛いことなのか。日本の採用の仕方、それは、今まではジェネラリストを採用するやり方だった。できることはなんでもやる、それが基本的な考えだ。合っていようとそうでなかろうと関係ない。でも私は最近感じる。それは、ほんとにその人の幸せにつながっているのか、と。

つい最近、こんな出来事があった。
ある人が、大事な作業中にミスをした。いわゆるヒューマンエラーだった。根本には作業者自身のスキルや経験不足という課題があった。作業者は強く責められた。

ただ、私は思う。その人を責めて、何が変わるのか?
そのスキル、経験の人間を採用した、選んだ側にも責任があるのではないのか?その人の能力に見合う仕事を与えたら、その人はもっと高い価値を発揮するのではないのか、と思った。

オーストリアの同僚から、採用にはとても厳しいと聞いたことがある。徹底的にその人の持つスキルや経験を重視する。前聞いた時には、なんて厳しいんだろう、と思った。でも、今は思うのだ。これが本当の優しさなのではないか、「人」を大切にすることではないのかと。

オーストリアは小さな国だ。でも、日本に比べると圧倒的に生活の質が高い。当然賃金も高い。その理由は、一人一人が最大限に価値発揮できているからなのだろう。そうやって能力を発揮できた時、人は「貢献している」と感じることができると思う。この思いが、社会に認められている、という気持ちに繋がり、その人の幸せにつながっているのではないだろうか。