村長の引継ぎ⑨
《分校の準備》
これで四つの公約のうち三つが終わり、いよいよ小学校分校に本格的に着手することにした。
これは、自然学校の合宿所建設や、県や市からの要望取入れと、それ合った教育と各校からの生徒募集を同時に進める必要があり、受け入れ施設だけの問題ではなかった。
そのためには、それなりの先生やカリキュラムや県や市との交流ルートや合宿イベントも準備する必要があった。それによって、この村のよさを知ってもらい、徐々に過疎化する村への移住希望者も増やしたかった。
辛かったのが、分校開設に当たって、学校教育法施行規則というのを勉強しなければならなかったことだ。それに従っての設置理由書の提出や、そこに記載する様々な決めごとがあり、最初は事務が得意な副村長に、やはりこういうことに関しては鮒島さんが、と誘い水を向けていたが、うーん、おりゃー、もう歳でー、と別のことで忙しがるので、一念発起して自身でやっていくことにした。
とにかく人材だった。県の教育委員会に掛け合って、僻地でも頑張れる若い先生をお願いした。隠居気分の先生ではなく、自然の中で子供らを育てることに興味のある活力ある先生がよかった。ましてや人選に注意しないと過去に問題のあった先生を押し付けられる危険もあった。
最初が肝心だった。爽やかな先生を求めてあちこちの学校にも顔を出した。そうして先生以外にも体験合宿を支援でき、村に住んでくれる若者も募集した。村の者でもよかったが、彼らは村しか知らず自然の有難みを人に教えるには適さなかった。
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ようやく少しだらしなさそうだが昆虫が大好きで目が輝いている先生を見つけ、口説きおとした。その虫仲間で、魚市場で働いている体格のいい若者も来てくれることになった。どちらも珍しい虫さえ見つかればどこにでも行くといった性質で、分校の先生になりたいのか、合宿の支援をしたいのか、虫を捕まえたいのか区別がつかなかった。
ただ、どちらも素直で、村役場の隣にプレハブを建ててここに住んでくださいと言ったら、嫌な顔一つせず、数日たたぬ間にやってきて、村の周囲の森に入ってカミキリムシの撮影をしていた。それをプレハブ内で上映して喜んでいた。
彼らの食事は村会議員の実家や奥さんが交代で持っていくことにし、彼らは三食昼寝つきで、役場の五右衛門風呂に入って、虫の話に打ち興じて寝てしまう毎日だった。
地酒も用意して歓待する場も設けたが、ちょっと油断すると虫の話になってしまい、春の開校が不安になってきた。
村長さん、あいつら虫のことしか知らんぞ、と河野さんからもチクられた。
彼らの話では、昆虫にも痛みがあるということが最近わかり、それ以来、部屋中に積み上げていた標本づくりは止めて、もっぱら見つけた種類の昆虫名を印した詳細な地図作りと、生態撮影とその鑑賞を楽しみにしていた。
世界中には百万種類の昆虫がいて、日本には三万種類と言われているが、実は90%は未発見のままとの話だった。
先生の話では、これだ!と興奮して知り合いの大学教授に送っても、今のところ、既にわかっている昆虫の擬態ばかりということで、一生かけて極めたいと語っていた。
先生はご結婚しないのですか? 今のところは縁もないし、女は擬態ばかりで本物かどうかわからんのですよ、じゃあ昆虫と同じでいいじゃないですか、いや、昆虫は新種がいるけど、女はいないでしょ。先生はそういう話は興味がないといった感じで、こちらに来て作成した昆虫地図を自慢げに見せてくれた。
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分校建設も先生募集とともに始めており、着々と施工が進み、役場の隣の荒れ地を広げ、役場と屋根伝いで行き来できるようにした。
教室と運動場、事務室や教務室、お手洗いに倉庫、玄関に下駄箱置き場と、合宿所も兼ねるので、集団生活できるように風呂場と大きな台所も必要で、それなりの規模になった。
どちらかというと分校の生徒は十名ほどだが、体験合宿の方が十五名ほどを想定しており、学校なのか合宿所なのかわからないような設備になっていた。
春の開校まで三か月となり、いつのまにか村は雪景色となり、虫マニアの二人もプレハブに教育の本を積み上げ勉強し始めていた。分校の運営には体力仕事も必要で、合宿支援の若者は季節労働のところを通年で働くことになり、体験合宿のシーズン以外も分校の用務員として働くことになった。
二人は賄い付きも申し訳なくなって、村人から余った野菜を頂き、猟友会のメンバーとも友達になってイノシシの肉を安く買い取り、毎日せっせと料理をし始めた。
若者は魚市場の食堂で働いていたため調理師免許を持っており、料理のレパートリーも広く、とにかく大食漢だった。
彼らは大きな鍋で料理するので、これを生徒の給食にしてしまおうと、同じような大鍋をいくつか用意し、食材は役場払いとし、分校の台所で料理をしてもらうことにした。
毎日三食合宿所で料理しているうちに、合宿所に寝床も移動してきて、プレハブから合宿所が彼らのメインの住まいになっていった。
確かに三十代の先生と二十代の若者が小さなプレハブに始終顔を突き合わせているのは、同じ虫仲間でも不自由だったろうし、先生は大いびきで寝るので、それが辛いとは以前から聞いていた。
先生は村に早く慣れたいという希望もあって、年度替わりではなく秋に休職扱いで来たが、開校までの半年で、彼はのびのびと虫と戯れ、虫三昧の贅沢な時間を過ごしていた。もともと大学は理系で、中学の教師免許ももっているが、虫の話が合うのが小学生というのもあって、小学校の先生に収まっていた。
意外と全教科満遍なく教えることができ、特に音楽図画といった情操系は性に合うようだった。開校前のカリキュラム準備でも、設置したピアノを器用に弾いては、村の光景を水彩画にして、右下に小さな虫模様のイニシャルを描いていた。
先生の名前は山田耕司で、体験合宿支援の若者は村上隆文で、お互いに山ちゃん、村ちゃんと呼び合うので、我々もそれに倣っていつの間にか親しい仲間になっていった。
【村長の引継ぎ】
最初の話:村長の引継ぎ①《着任の日》
前の話:村長の引継ぎ⑧《新たなゴミ施設》
この話:村長の引継ぎ⑨《分校の準備》
後の話:村長の引継ぎ⑩《開校式の準備》
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