黒猫

会社からの帰宅途中、少し怖いほど音のしない住宅街、薄暗い夜道にふと黒い影が現れた。黒猫だ。野良猫にしては健康的な体つきをし、街灯の加減からか目は薄い緑色に見える。猫はアスファルトの上に座り込み、何かをお願いするかのような声で、にゃーんと鳴いた。


以前、妻に疑問を投げかけた事がある。「にゃーんと鳴く猫は、なにを思っているのだろうか」と。妻は「にゃーん、と思っているんだよ。」と、とても上手な声真似で答えてくれた。


黒猫はよく見ると真っ黒ではなく、街灯に照らされフワフワと、少しの光を纏っている。それが何色とも言い難いのは、私が色の名前を詳しく知らないからなのか、はたまた猫がこの世に呼び名すら存在しない色をしているからなのか。
綺麗な毛並みもよく見える。生命としての逞しさを感じ取れる、はっきりとした凛々しい姿だ。

暗がりにも目が慣れると一つぽっかりと空いた穴が見えてきた。黒猫の影である。凛とした猫に対して、影は不気味なほど黒く、そこには何も存在せず、空間ごと無くなっているかのように見える。いくら目を凝らしても何も見えず、視界の全てが吸い込まれていくような感覚になる。

その穴は異世界に通じ、ありとあらゆる猫の妖怪がそこから溢れ出し、世の中の全ての不思議を我が物顔で牛耳っているのだ、などと妄想をしながらじっと見つめていると、黒猫はその大きな黒目を迷惑そうに背け、そして、にゃーんと一つ鳴き、足早に住宅街へ消えていってしまった。

先ほどまで穴が空いていた猫の影があった場所は、何事もなくアスファルトが存在している。撫でるように触ると、思ったよりもデコボコとしていたせいで、少し指先を痛めてしまった。

「お前は本当に、にゃーんとしか思っていないのかい。」

痛めた指先を揉みながら、私も一つ、にゃーんと鳴いてみた。

ありがとう