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人の見ている景色と自分の見ている景色は違うということ

最近、気付いてしまった。
同じように見えて、同じではないということ。人の経験と自分の経験は言葉だけでは測れないということ。

これに気付いたのは、わたしの見ている普段の景色を振り返って見た時。見ている景色に自分はどう感じているのか、何を思っているのか。そして、その過程で、彼の存在がとてつもなく大きいものだと知った。

いつの間にか、買い物に行った時は自分の嗜好でなく、彼の嗜好で買うものを判断していた。美味しいものを食べると、彼にも食べさせてくなっていた。綺麗なものを見ると、彼にも見せたくなっていた。

見るもの、すること、感じること。いつの間にか、自分の体が、自分のためだけの体ではなくなっていた。同じものを食べて美味しいと言い合ったり、同じものを見て感動を分かち合ったり。彼の見たいものはわたしも見たいし、わたしが大切にしている景色は彼にも見せてあげたい。そう思うようになっていた。ともに生きていくとはそういうこと。


楽しみは2倍で、悲しみや苦しみは半分づつ。

いつか聞いた歌の歌詞でも、いつか見た映画のシーンでも、同じようなことを言っていた。言葉は知っていたけれど、体験したのは初めてだったかもしれない。

言葉だけでは伝わらない、もっと大切なことがあった。同じ言葉を使っていても他の人とは違う、自分たちだけのストーリーがあった。

「わたしもそう思う」「同じこと思ってた」という言葉や相槌だけでは、想像できない光景があった。

だから人の経験から生まれた言葉を鵜呑みにするのでなく、自分で体験して欲しい。自分の目で、身体で、感性で、確かめて欲しい。同じように見えて、全く違うということに気づくはずだから。

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